論 考

解散歓迎の軽薄

 衆議院議員任期4年、じっくり政策に取り組んで、与野党問わず堂々たる議論を交わしてほしいのは当たり前である。

 自民党某議員はいまでは大ベテランだが、官僚からの転身で、当選したときは比較的年齢が高かった。

 彼は解散大歓迎だと語った。解散が多いとそのたびに当選回数が増える。出世するには当選回数を重ねることだ。

 その際は、ぽやっと聞いていたが、考えてみれば、野心的な議員が解散、つまり選挙に最大の目標を定めるなら、解散風はつねに底流としてあるわけだ。

 解散を政局ではなく、自分自身のチャンスとして期待する議員が多いほど、議員の本分は政治よりも政局になって、また、政策論機も政局的になる。

 わが議会が浮ついて、地に足のついた議論ができない大きな理由はここにある。野心的でない議員にしても、解散は大ごとである。一に選挙、二に選挙、三四がなくて五に選挙である。

 解散が多い国は政治の出来がよろしくない。解散を振り回す軽薄さを断固拒否しなければならない。

 本当の解散権は民意にこそある。