月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

私たちは、どう生きるか

音無祐作

 社会人になって初めての上司は、とても新しいもの好きでした。まだ、他の職場ではワープロが幅を利かせていた時代でしたが、パソコンを早々と導入し、文書の作成はもちろん、休憩時間にはゲームしても良いから、早く慣れるようにと指導されました。

 学生時代に研究室でもサークルでも、ワープロを使用していた自分としては、最初のうちはパソコンというものが、何とも複雑で、使いにくく感じたものでした。

 しかし、やがてMS-DOSで動作する表計算ソフトやグラフ作成ソフトの導入により、今まで手書きでは数時間かかっていたグラフ作成の作業が、1~2時間程度でできるようになり、続いて導入されたWindows上でのExcelを使用することにより、数分で完了することができるようになり、感動したものでした。

 近頃は、人工知能AIの話題がかまびすしいです。Chat-GPTなどの最新のAIを使えば、小説や漫画を創作したり、計測した数値を使って表さえ作れば、自動で最適なグラフを作成してくれたり、文書の提案書をもとにプレゼンテーションを作成してくれたりするらしいです。

 アメリカでは、俳優や演出家による抗議運動にまで至っています。たしかに、最近のCG映像などを見ると、だんだんと精巧になってきており、そこにAIによるコントロールが加わるとなれば、役者として危機感を禁じ得ないでしょうし、小説が書けるほどの創造性があるならば、演出家にとっても脅威となることは間違いありません。

 これらの職業にかかわらず、さまざまな雇用に対する危機が懸念されています。

 しかし、著作権やプライバシー侵害などの問題については規制することはできるかもしれませんが、AIの普及・発展自体にはもはや逆らえるものではないようにも感じます。

 たしかに、新技術の発展によって、人員が削減される業種は少なくないでしょう。これまで産業の歴史でも、馬車や自動車の発展、通信の普及、製造方法の効率化などによって、多くの雇用が失われたこともありました。

 パソコンの普及もしかり、多くの部門で省人化が図られたことと思います。

 しかし、一人ひとりの労働時間を考えてみると、どうでしょう。パソコンによって、グラフを書いたり、報告書を書いたりする時間は少なくなったはずなのに、そのおかげで残業が減ったとか、休みがとりやすくなったなどという実感は、あまりないようです。

 SF作品の中には、ロボットや人工知能の発展によって、人間が働かなくてよくなる時代などが描写されたりしますが、そんな未来がやってくるとは、現時点ではとても想像できません。

 AIにとってかわられる仕事ということを考えていったら、きりが無いような気がします。今日できなくても明日にはできるようになるかもしれません。しかし、いくらAIが発展したとしても、人がしなくてはならない、するべきことは、次から次へと生まれてくるような気もします。

 これからの時代には、AIの普及でも失われることの無い仕事を探していく必要があるでしょう。そんな時代にどう生きていくか、柔軟に考え続けることが求められるのかもしれませんね。なんてったって、人間は考える葦なのですから。