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医療への信頼はどう保たれるべきか

渡邊 隆之
八王子・滝山病院は例外事例か

 この数か月、NHKのEテレ「死亡退院」のスクープを契機に、八王子・滝山病院への調査や東京都の同病院に対する改善命令に関心が集まっている。

 一般論として、病院等での職員による患者への暴行事件については、職員の賃金水準の低さや劣悪な労働環境が原因なのではと度々指摘されてきた。しかし、今回、筆者の父について病院を利用して筆者が感じたことはそれだけではない気がするので指摘したい。

 第1に、施設設営者の意識の問題である。医者になるためには医大を出て医師国家試験に合格、その後、大学病院等での研修を経て勤務医や開業医になるのだろうが、一般社会との接点がほとんどない。よって、患者との間で意識の乖離が生じる。病院内では人の死にも多く直面することから、「人間の尊厳」に関する感覚も鈍麻し、患者や患者家族への配慮を欠く暴言を発することにもなりかねない。

 第2に、医師のステータスの高さが患者や医療・介護従事者との間に壁を作りやすい点である。

 医者は、学生時代からの勉強の成績は良いだろうし、挫折体験も少ないだろう。人間の生死に関わる職業だけにかかるストレスも尋常でない。医者のピリピリした感情が周囲の看護師等に伝わり、忖度した物言いしかできなくなる傾向に陥りやすい。そのツケは最終的に患者や患者家族に回る。筆者がよく利用するタクシー運転手は、タチの悪い乗客は、医者、弁護士、警察官と話していた。権威や権力のある方たちである。言い得て妙というべきか。

 第3は、医療業界と病院の閉鎖性である。業界自体が特殊であるのに加え、病院は閉鎖的な空間である。ここ数年のコロナ禍で患者と患者家族との面会が中止となり、その閉鎖性はますます強まっている。医学に関する知識はもちろん、心身の不調を訴える患者とその患者家族に対し、医師は圧倒的に優越的な立場である。

 ただし、患者に関する治療は、あくまで患者の自己決定権(憲法13条)の問題であり、患者の意思や患者の推定的意思を表明できる患者家族の意思に基づく決定が優先するはずである。だから、事前に医師からのインフォームドコンセントが必要になる。

 古い体質の病院では、医師から病状や術後のリスク等の十分な説明がされず、また、患者側からも質問をしにくい。となると、手術のほか術後の対応含め、医師の思い込みで患者の生死やその後の身体状況が左右され、病院は「治療の場」ではなく「人体実験場」「消極的安楽死施設」へ変貌する危惧がある。さらに、カルテについても個人情報であることを盾に、病院にとって都合の悪い情報は隠蔽しやすい。

 思うに、投薬や手術など俗に医的侵襲行為と呼ばれるものは、患者の生命・身体に影響を及ぼすものであり、刑事的には本来、傷害罪(刑法204条)、殺人罪(刑法199条)の構成要件に該当する。しかし、治療目的のもと、医学上必要かつ相当な治療行為が行われるから、正当行為(刑法35条)として違法性が阻却される。医師に医療行為は本来、刑事犯罪に該当しうる違法行為なのだという認識はどれだけあるのだろうか。すなわち、患者に「人間の尊厳」とどれだけ対峙しているのだろうか。

 さらに、困ったことは、病院等がおかしな処置をした場合に、その処置に対し、どこに苦情や異議を申し立てていいのか明らかでない。公的な機関に相談しても「センシティブな情報のためその病院とお話しください。」で終わるケースも多い。開き直った病院等に対しては解決の糸口がない。

 刑事裁判にしても民事裁判にしても、重要な証拠はその病院が握っており、訴訟の実効性がどれだけあるかも疑問である。都道府県によるチェックも形式的なものが多く、また、医師個人に対する行政処分もそれほど多くない。医師免許剥奪になることはほとんどない。

 話題の滝山病院についても、院長の朝倉氏は以前院長を務めた埼玉県春日部市の朝倉病院で診療報酬目当てに非人道的行為をしていたことが元職員の告発で発覚し、同病院は廃院となった。ただ、廃院理由は保険医療機関の取り消し処分によるもので、同氏や病院関係者が、刑事責任や人権侵害の責任を問われたのではないとのことである。

 国民の生命・身体の安全を図るいわば公器といえる病院が、今の性善説の制度の下、チェック体制が野放しのままでよいのだろうか。早期に適切な苦情処理機関の設置を望みたい。

 今後社会保障費が増大するとマスコミは騒ぐが、不適切な投薬や治療が多く行われていないかの点検も必要である。

 最後に、医師を含む医療従事者等の名誉もあるので、少し付け加えておきたい。街医者の先生については、総じて患者への問診や触診がよく行われ、重大な病気が疑われる場合には紹介状等の対応も迅速である。また、筆者の父が最後にお世話になった介護施設では、入居時に訪問診療の医師が父に詳しく病状を聞き、家族にも病状経過を細かく聞き、病院からの診療情報以外からも積極的に情報を収集してくれた。

 そして、患者の意思を基に治療方針を決めると、看護師、介護福祉士、ケアマネジャー、管理薬剤師、歯科医師等治療に携わるメンバーを集めミーティングを始めた。各々立ったまま必死にメモをとり、「絶対にこの患者を元の身体に戻すんだ!」という気概が感じられ、傍らにいる筆者も感激して涙がこぼれた。父は前の病院での「管理」状態が長引いたことが影響し、途中で亡くなることになったが、4か月の病院管理下で荒れた肌は3週間で戻り、口腔内も痂皮がなくなり普通の人の舌に戻っていた。

 父が亡くなったときも施設の事務員の方も含め多くの方が涙ぐみ、治療やリハビリにあたっていた専門家の方たちも深く肩を落とされた。

 病院によっては、患者ではなく経営の方を重視し、いかに患者を管理しやすく、長く延命させ、収益を上げるかという点に重きをおくと思われるところもある。しかし、本来、医療は患者の自己決定権を尊重し、いかに、患者に寄り添うかにあろう。父を失った深い悲しみと引き換えに筆者が得た帰結である。