月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

流通業界の巨星落ちて想うこと

渡邊隆之

 10月25日、食品スーパー大手「ライフコーポレーション」の清水信次名誉会長が亡くなった。96歳だった。同氏はダイエーの中内功(正確には「エに刀」)氏、セブン&アイホールディングスの鈴木敏文氏、イオンの岡田卓也氏とともに戦後の流通業界を牽引した人物である。筆者は清水氏とは直接の面識はない。しかし、その人柄や語り口については直接接したことがある。

 筆者は日本チェーンストア協会の会議に陪席し、その内容をまとめ、自社に報告するという仕事をしていた。通常、スーパーの現場では、競合他社に負けるまいと随時他社店舗の価格調査をしたり、売上を上げるための戦略を練ったりするのだが、日本チェーンストア協会は、流通業界での共通の課題について、各社会長クラスの役員が出席し、討議し、国会に改善要望を出すという組織だった。私が会社に在籍していた時に議論されていたのは「狂牛病問題」「スーパーのレジ袋有料化」「電力の自由化」「消費税」などであった。

 普段は温厚な清水氏ではあったが、会議では独自のレポートを基に話し出すと止まらなかった。筆者が陪席したときで特に覚えているのは特にBIS規制(自己資本規制)についてのアメリカに対する批判だった。

 清水氏は先の大戦を経験している。実家は戦前大阪の天満で卸小売をしていたが、戦争が苛烈になり、国家総動員法で企業が整理され配給制度になり商売ができなくなった。その後、大阪や疎開先の三重で空襲に遭い財産をすべて失った。昭和20年に軍人として入隊し、陸軍の特別幹部候補生となって9月1日に第一線配備されるところだったが、8月15日に敗戦となり命が助かった。最後は本土防衛特別攻撃隊に編入されて、米軍の上陸の際には真っ先に盾となって戦車地雷を持って体ごと吹っ飛ぶのが使命だったという。あと1か月戦争が続いていたら現在の戦後復興への多大な尽力はなかったのかもしれない。戦後は闇市で資金を稼ぎ、東京に出て貿易で稼いでいた。昭和20年11月の財閥解体でバラバラになっていた三井物産や三菱商事がGHQの占領終了とともに結合し始めたのを契機に小売業に転身することになる。

 昨今のIT企業とは異なり、小売業の儲けは驚くほど少ない。筆者がスーパー従業員の時に上司からよく聞いていたのは、売上1万円に対して3円儲けられればよいということだった。多くの人を使うので人件費がかかるのである。それでも、中内氏や清水氏が小売業を選んだのは、衣食住にかかわる商品を手頃な値段で消費者に提供することが市井の人々や社会のためになるということ、国家政策の誤りによって戦地で亡くなっていった人々への弔いではなかったか。中内ダイエー時にあった「人を愛し、店を愛し、日々美しい努力を続けます」という唱和の言葉は、個々の「人」目線からの決意に思えてならないのである。中内氏も会長を務めた日本チェーンストア協会での討議はまさに業界利益優先ではなく、消費者目線、現場で働く人の目線から何が正しいのかが議論されていたように思えるのである。

 国会では国家百年の計を語る政治家や官僚が減った。カルト教団の力を借りてまで当選に固執する与党、将来の出世や天下りのため政府に忖度するトップ官僚、委員会等の名称で業界団体利益を優先する政商、思考停止の有権者。この国は重い病気にかかっているのではないか。また敗戦後77年経つのに敗戦気分が抜けず、アメリカと対等に話ができないことも問題がある。「利益を上げられない企業は潰れればいい」「儲けが出なければ値段を上げればよい」との論調が高まっているが、これを推し進めれば外資企業ばかりにならないか。インフラは確保できるのか。この国のサービスはそれぞれの現場の工夫と努力によって成り立っていることをもう一度考えたい。清水氏は広島長崎での原爆投下、B29による無差別殺人ののち、日本がアメリカの第二植民地になったことを憂い、この状況を脱却し、民族の誇りと尊厳を取り戻さなければと述べていた。私たちはどうしたら自分も含めた人々の個人の尊厳が守られ、社会が安定するのか、海外の状況や過去の歴史にアンテナを張り、まずは多くの人々の思考停止を解くため声を上げていきたいものである。