論 考

菅=与党=状況不適応

 コロナ対策を巡って、識者は「説明不足だ、政治と国民のコミュニケーションが不足している。政治の信頼感不足だ」という見解が出されている。まあ、おおざっぱにまとめればその通りである。

 安倍内閣の8年間にも、「ていねいな説明」という言葉を聞かなかった日がなかったくらいだ。しかし、菅氏が官房長官としての記者会見で、ていねいな説明を聞いたことがない。言いっぱなしが定例だった。

 これは、人々に理解してもらうために話すのではなく、「こうするから、従え」という態度である。直接的には、8年間の安倍政治のレガシー(習性)である。

 その根元を考えると、政治家としての資質・見識に拠っている。人々を個々ばらばらにしてみれば、権力と個人は絶対的に権力優位である。

 もちろん現在、格別人々が結託して行動しているのではないが、日々の暮らしの自由度を確保したいという思いは、人々がお互いに話し合わなくても、誰もがこだわっている課題である。

人々は無関心ではないのである。安倍政治8年間は、いわば人々のバラバラの気持ちが自然にまとまるような課題はなかったが、コロナ感染拡大においては、そうはいかない。

 一方菅氏が、本気で心を入れ替えて、政治家がいうところの「国民目線」の思索と発言・行動ができる可能性は極めて少ない。なにしろ、叩き上げてきたプロセスにそのような視点はない。菅という人物は、コチコチに固まってしまっている。

 与党の諸君は、本当にわかっているのだろうか?