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女子スポーツの「カメラ・アイ」について

すぎかふん

 よりよい記録を出すために、競技をより美しく見せるために、スポーツ用ユニフォームの素材はより薄く、カバーする面積はギリギリにまで削り込まれている。スピードスキーの「キロメータ・ランセ」では風の抵抗を最小にするためとして、1kmの直線コースをヌードのようなワンピースで弾丸のように滑降する。初めて見たときにはスタイルの異様さに度肝を抜かれ、羞恥を感じた。スピードスケートもまたしかり。男子の競泳も板飛び込みも、“海パン”姿は目が慣れるまで正視に耐えなかった。

 相撲もまた、鍛え上げた肉体と技の美を損なわないよう、ユニフォーはぎりぎりまで切り込まれる。まわしをいくら紙垂(しで)で飾っても、そこに神様が居ることにしても、伝統という時間の長さで箔をつけたにしても、裸体という野蛮は糊塗できない。

 スポーツの関心が競技以外の方面に移っていくことに、ビーチバレーや体操の女子選手たちが怒っている。躍動する肉体と技の美は、好奇と欲情の慰みものにされている。ビーチバレーではファインプレーより別の何かを期待して、コート際の砂被りでカメラを構えるファンがいるという。カメラを持てばPeeping Tom根性をカモフラージュできると思っているのかもしれないが、君たちも破廉恥な本能を衆目にさらしている。辱を知りなさい。

 ファッションショーでは、モデルははらりと落ちてしまうような危うさをまとってランウェイをcat walkする。裸が一番美しいと気付かせるのがデザインの目的、役割ならば、ファッションショーは機能とは別の美が競われていることになる。(かのトランプさんはこの控室に闖入してモデルを激励?したと、映画の中で被害者のモデルたちが言っている。)

 選手たちは特別なスターだからと許される犯罪ならば、やがて身近な家族も同じ危険にさらされるだろう。娘たちは被害者として、息子たちは加害者として。

 スポーツとはいえ過激なユニフォームには倫理規定を、破廉恥なファンにはブーイングの雨を、好色漢には軽犯罪法の適用を。

 日本オリンピック委員会(JOC)がアスリートへの写真・動画による性的ハラスメント防止の取り組み対策を打ち出すという。「me too」運動に続け!!