論 考

中味の薄い観光ではねえ

 地方創生といえば、大方は観光客誘致という気風が強かった。外国人がたくさん来日すれば、メジャーの観光地だけでは容量が少ないから、周辺地方に拡散していくという期待があるのも無理はない。

 しかし、京都の場合をみると、一時期市内は満員電車並み! 観光客というわけで、京都の落ち着いた風情を味わうどころか、サービス低下が危惧される事態を招いたのも不思議ではない。

 昔から、わが国の観光には物見遊山の傾向が強い。ちょいと珍しいものを目当てに、あちこち、うろうろするのが主流だから、実際は、大枚投入しても味わいが薄い。まさに、そこに瞬間的に「在った」だけという次第である。

 旅をしての醍醐味は、いつまでもそこに居たいような、何かを感ずることではないだろうか。――このように考えると、外国からの観光客が落としていく金銭を当てにするのではなく、そこで暮らしている方々にとって「至福の時間が流れる」というような街づくりが大事であろう。

 旅することは、人生を哲学するのである(と、わたしは思う)。補助金で、人々に旅をしていただくというような施策は、端から旅の価値を貶める。いかにも軽佻浮薄で、わたしはとても評価できない。

 ついでに言えば、どこかへ行かなくても、日々の暮らしのなかで、旅ができるはずだ。変化がないような日々の暮らしのなかで、何かを発見することができれば、まさしく「Quality of Life」である。これができないのであれば、旅に出て環境が変わったとしても、何も得るものはない。