論 考

長期政権とは部族的政治である

 トライバリズム(tribalism)という言葉がある。部族主義、極端な仲間主義で排他的なことを批判的に表現する。

 昨年6月から続いている香港の学生運動の出口が見えない。学生側と警察の対立がエスカレートする一方である。政治的課題を主張しているのだが、目下は政治的解決の動きが見えない。

 学生運動に限らないが、運動が過激化すると当然ながら参加者が減る。参加者が減ると運動する人々の結束はますます強固になる。孤立しても闘い続けるためには結束を固めるしかないともいえる。その流れにおいて、学生側も警察もトライバリズムへ一目散というわけだ。

 これは他所事ではない。香港は物理的に目立っているが、わが国でもトライバリズムが花盛りである。かつてお友達内閣と揶揄されたが、当時は自民党内部でも批判的であった。いまはどうかというと、当時よりももっとお友達化が深刻になっている。

 花見問題の安倍氏の説明はなんら説明になっていない。モリカケもそうであった。たまたま自民党が圧倒的多数を占め、官僚が人事で首根っこを押さえられて支離滅裂な答弁しかできない安倍氏を支えてきた。

 つまりは、お友達化が深化拡大した。自民党と官僚がトライバリズムと化した。野党などが厳しく突っ込めば突っ込むほど、トライバリズムがさらに深化するという深刻な事態である。

 デモクラシーというものは、見解の違いを相互に討論して、一致点を求めていくのであるが、これらの問題は見解が一致するのは、安倍氏としては認められない。なぜなら自分に非があることを認めねばならないからだ。社会通念と異なった事態を貫くためには、ますますトライバリズム一直線である。

 あまりにも程度の低い問題であるから、それだけ政治の堕落が歴史的事実として膨れ上がっていく。いわく、部族的政治である。