論 考

他愛のない着想

 ノーベル文学賞が発表されて、他愛のないことが頭に浮かんだ。

 キップリング(1865~1936)は、1907年に英国人として初、最年少の受賞者として、ノーベル文学賞を受けた。授賞理由で評価されたのは、観察力、想像の独創性、着想の力強さ、物語の非凡な才能であった。

 薄田泣菫(1877~1945)『茶話』によると、キップリングが米国の雑誌が見たいので、米国の友人に数冊依頼した。到着した雑誌はすべて広告が切り取ってある。米国雑誌は本文よりも広告がはるかに多く、その重さで郵送料がかさむから、友人が節約したのである。

 キップリングはいたく落胆した。彼が見たかったのは広告であった。彼は、世界中を旅したが、広告からも時代の流れを観察したのであろう。

 これが書かれたのは100年ほど前である。日本では「銀ブラ」という流行語が登場、そのど真ん中に百貨店が輝いていた。

 60年前くらいからスーパーが登場し、30年前には売上で百貨店を追い抜いた。10年前には、コンビニが百貨店を追い抜いた。コンビニの勢いがすごかったが、ここへきて頭打ちの感。今度はネット通販が足音高く台頭した。すでにスーパーを凌駕している。

 おおざっぱに見て、消費市場は依然停滞している。いわば、それぞれの流通部門が奪い合いをやっている。

 わが国では昔にさかのぼるほど、広告に対する不信感が強かった。実物をわが目でしっかり確かめずには買わないのであった。ネット通販の勢いは、こんな時代がはるか昔に遠のいたことも意味している。

 わたしも新聞や雑誌の広告をしばしば眺めるのであるが、さしたる刺激を受けない。むしろ、うっとうしい。想像、着想につながらないのが遺憾千万だ。