週刊RO通信

中小組合が労働組合を活性化する

NO.1286

 今年も春闘の季節になった。賃金は労使関係の基本中の基本である。とくに働く人からすると、賃金を上げるか上げないかの問題だけではなく、働き方の基盤として、その現実と在り方についてよくよく考えてほしい。

 中小の組合では、賃金交渉自体がなかなか活動の体裁を整えにくい事情にある。まず、賃金制度がきちんと整備されていないとか、組合が組合員の賃金実態を十分に把握していない。

 たまたまどこかの産別組合に所属していれば、産別からの指導・支援を得て賃金交渉の体制を整備していくのであるが、いかに産別が力んでも、当事者の取り組みがしっかりしないと、いかんともしがたい。

 はたまた産別の指示に形だけ合わせて、賃金交渉事務体制(?)が奇妙な形で形成されていくと、いつまでたっても本来の組合としての体制が整わないことにもなりかねない。

 日本全国24,465組合・組合員998.1万人、雇用者5,848万人で、組合推定組織率17.1%。中小組合が圧倒的多数である。組合活動が活発でないという悩みは中小組合問題そのものだといえる。

 だから、中小組合がきちんとひとり立ちして活動を展開することになれば、日本の組合の社会的影響力はとても大きくなる。黒い企業問題など吹っ飛んでしまうはずである。

 1980年代までの古参組合活動家は、口を開けば「最近の組合は——」とぶつくさ言う。その気持ちはわからないではないが、ピントがずれている。昔は「賃金」と聞いただけでマナジリが上がった。

 いま、とりわけ中小組合において、「低賃金・長時間労働・有給休暇が取れない」のが3点セットであるが、「1円でも多くほしい」というような気風は見られない。だから昔の活動家のため息はあまり役立たない。

 組合員が春闘時期になっても盛り上がらなくなったのはすでに1980年代である。要するに、「賃金闘争=組合」という公式が崩れた。にもかかわらず、その後も旧来思想とパターンで活動展開したツケがいまの組合なのだ。

 賃金と生活がミリミリつながっていた当時、もっとも低賃金だった若者層がおおいに気を吐いた。執行委員選挙に立候補して先輩世代の対立候補に勝つという武勇伝時代でもあった。

 妙な表現になるが、とんでもないのが「わしがやる」と挙手することも少なくなかった。そこで「やりたい人よりもやらせたい人に」というような批判的発言が見られたのでもある。

 いまは、まさに「やりたい人」ではなく「やらせたい人」がほとんどである。正しくは「やりたくない人」であり、「やらせられている人」なのである。組合役員をやっていること自体が本人の多大な犠牲的精神に支えられている。この事情は組合組織が大きいか小さいかは、あまり関係がない。

 ところで大労組は専従役員が多い。中小労組に専従はほとんどいない。専従力と非専従力の差は格段にあるような気がする。ならば大労組の活動はおおいに活発であろうか? あえて、さして変わりがないと言おう。

 なぜなら、大労組は組合機関を動かすのに専従力を駆使しているのであって、組合員力を結集するためにパワーを全開しているのではないからだ。事実、大労組であっても賃金交渉が盛り上がっているというほどでもない。

 活発な組合活動は、職場の組合員1人ひとりが参加した運動が作られている。組合活動の活発・不活発は、組合員が組合活動に参加しているかどうかである。このように考えると中小組合のほうが活性化しやすい。

 組合とは、人と人のジョイントである。10,000人組織と100人組織で比較すれば、1人が1人とのジョイントを実現した場合、片や10,000分の1、他方は100分の1の活性化だ。活性化速度も組織力発揮も小さいほうがダントツである。

 「Small is radical」である。この場合ラジカルとは根源的の意義である。組織の大小にかかわらず、組合活動の根源を忘れないようにしたい。やがて大河となるとも、源流を遡れば小さな泉である。1人ひとりが組合活動の源流である。中小組合に期待する。