週刊RO通信

台湾総統選挙の含意

NO.1545

 次期台湾総統に頼清徳氏が選ばれた。得票率でみると民進党・頼清徳40.05%、次点国民党・侯友宜33.49%、3位民衆党・柯文哲26.46%である。これは、台湾の人々が真剣に考えた結果である。新聞は、さっそく中国・台湾間に緊張が高まると解説する。

 その通りかもしれないが、わたしは、この選挙に、人々が自分の1票に大きな意思表示をしたと思う。中国・台湾関係の前に、人々がいかに一所懸命考えて投票したかということを想起する。そして、日本の人々が、この1票に真剣にこだわる姿勢を想像できないのである。

 周知のごとく、台湾は1895年日清戦争終了の際の馬関交渉で、日本の植民地とされ、1945年日本の敗戦によって解放された。蒋介石が1948年から1975年まで、中華民国(台湾)総統として権威主義・強権的政治支配がおこなわれた。人々が政治の舞台に登場することはなかった。

 民主化の動きが活発になったのは、李登輝総統時代の1990年代前後である。民主化の流れのなかで、1996年初の総統選挙がおこなわれた。李登輝自身が、若い時から民主化に情熱を燃やしていたが、総統選挙の実施が台湾の民主化意識をさらに奮い立たせた足跡を見る。

 思うに、植民地から解放されたとしても、人々の生活が直ちに改善されるわけではない。最初は、外国企業の誘致に精出さねばならなかった。しかし、それ以上に、ただ仕事があればよいというのではなく、自分たちの技術力・販売力を育てねばならないという意識と行動である。台湾は、確実にそれを自らの手中に収めた。それが民主主義の自信と重なっている。

 敗戦後の日本も同じであった。追い付き追い越せという言葉に象徴されている。ところが、1970年代後半に追い付いたという気風が生まれた。1980年代のバブル経済に至っては、明治時代に日清日露戦争勝利で一等国になったと慢心した状況と同じになってしまった。

 この辺りの事情は1990年代以降に生まれた方々には容易に理解できないかもしれない。どうしても先人の背中を見て活動するからである。バブル崩壊後の日本は、人々の生活基盤を支える産業面で非常な後退、いや失敗が目立った。産業構造が世界最先端からみれば、あきらかに遅れているにもかかわらず、経営者が打ち出したのは人件費コスト削減でしかなかった。

 もちろん、人件費コストが企業活動の自由を奪うのは事実である。しかし、企業活動をするのは従業員である。従業員が低賃金でうろうろしなければならない事情において、世界の先進技術と伍して闘えるわけがない。円安は、日本の経済実力そのものである。

 とりわけ天下の悪政策というべきは、非正規社員増加である。働き方改革なるものが中味は、名目的に非正規労働を正規労働扱いする狙いであった。対抗する産業民主化の動きらしきものもなかった。挙句は労働界のトップが自民党と仲良くして要求を通りやすくするという、まるで気の抜けたビールまがいの行動をとる。

 くどくどと、日本的事情を書いたが、台湾の民主化の動きを見ていると、実に人々が自由に発言している。植民地時代の、いわば台湾人としてのアイデンティティがない状態から、個人としても、組織としても、社会としてもアイデンティティを確立したいという「見えざる合意」ができているのではなかろうか。かつては、しばしば1960年代日本が元気だったと語られた。その時代に青年期を過ごしたわたしとしては、当時の日本は、まさに「見えざる合意」の気風があったと回想する。

 さて、中国と台湾の関係は複雑微妙である。西部劇風の善玉・悪玉論で介入するのは、問題を複雑化するばかりである。台湾をわが陣地と考えるような国が、いざという場合になにができるか。ウクライナを見てもわかる。

 今回の選挙戦で、いずれの候補者も両岸関係を前面に押し出さなかったのは、単なる選挙戦術だけではない。中国とまったく対等の軍事力を保有しないかぎり、台湾には言葉による問題解決しかない。台湾総統が頼清徳氏になったから、両岸関係は緊張が増すというような論調には、問題解決に対する本気の見識が見えない。学ぶことはたくさんある。