週刊RO通信

慷慨衰えて煩悶興る

NO.1542

 少し前に友人からいただいた手紙の一部に、次のように書かれてあった。

 ――周辺の若い人たちを見ると、日々業務の多忙をもって、(もっと大事なことを)思索し苦悩しないばかりか、そうであることを喜んでいるように感じます。思索し苦悩するということは、自分自身がことの当事者たることを決断しているがゆえですが、日々その決断を「心地よく」回避し続けているように見えます。――

 表現が少し抽象的で漠然としているように感じられる向きが多いかもしれないが、わたしはおおいに共鳴している。敗戦後、わが国は民主主義になったが、内外に、「日本人は社会的とか、公共に関心が弱い」という指摘がある。これはわたしが若いころからこんにちまであまり変わらない。

 これについて、保守系の人々は、戦後民主主義が人々を自己中心主義に変えたのだと主張する。自己中心的だから社会・公共心が弱いという理屈は成り立つが、戦後民主主義に自己中心主義の責任を押し付けるのはまちがいである。自己中心主義と功利主義こそが問題の本質である。

 功利主義がおおいに推奨・喧伝されたのは明治維新以来である。もちろん功利主義は本来、他人を蹴飛ばしてでも自分の得になるようにせよという教えではない。社会を構成する各人が、自分の生業を一所懸命に努めることは結果的に他者の有益につながるという、いわば性善説である。パーティ券で裏金作りを推奨するのとはちがう。

 お肉屋さんが、いい肉を少しでも安く提供しようと努力する気風であれば、お客さんが増える。儲かればいいと考えて、低質な肉を高く売るような気風であれば、お客さんが逃げる。本来の功利主義は互恵平等が以心伝心して、最大多数の最大幸福に通ずるというわけである。

 しかし、明治の近代化の過程では、儲けることは、「汗をかく・恥をかく・義理をかく」ことだという気風が強かったし、日清戦争(1894~1895)に勝利したあたりから精神的荒廃が目立つようになった。明治近代化が、知育偏重と実利主義に傾いたツケが出たといえる。

 儲ける人が多くて儲けない人が少ないのであれば社会的不満は大きくならないが、概して儲ける人は少なく、儲けない人が多い。そこで儲けるために義理を欠くような具合になる。

 自分が儲かれば他はどうなろうが知ったことではないという社会的気風が強くなれば世の中は乱れる。明治の30年ごろにはかなり利己主義が蔓延して、維新に寄せた期待が裏切られるような風潮になっていた。

 論壇で一世風靡した三宅雪嶺(1860~1945)は、「慷慨衰えて煩悶興る」と指摘した。この意味は、世の中におかしなことが多ければ、まともな人々は、社会の不義や不正を憤ったり嘆いたりする。しかし、いかに悲憤慷慨しても世の中が改まらなければ慷慨する元気を失う。無力感に捉われる。

 人々の世の中に向けた視線が衰えれば、必然的に人々の関心は自分の周辺に向けられるし、いわゆる「小さな幸せ」や、自己中心世界観になる。本来、自身で煩悶して社会的存在としての自己に気づけば、再び慷慨する歩みに出るが、そこまで徹底して煩悶することができる人は多くはなかろう。

 世の中おかしい。その世の中をつくっている1人が自分だとは思わない。他人がつくった世の中がおかしいのだから、嫌ならそれを避けて、自分だけの心地よい世界に留まる。おそらく、この気風は明治近代化以来、日本人の多数派を占めてきたであろう。

 15年戦争(満州事変1931~太平洋戦争敗戦1945)の時期は、もっとも国家主義が人々を抑圧した。世の中にNOをいうことも難しいし、自分の小さな世界に閉じこもることもできない。これを滅私奉公といった。公共心に溢れた社会のようであるが、実は、私がない公(=国家)だけなのだから、やはり社会的関心や公共心が存在しなかった。

 自分自身をこと(社会)の当事者と考えないのは、明治近代化から一貫した日本的気風ではないか。すなわち、戦後は民主主義になったが、まことに残念ながら、民主主義になってから生まれた人々も相変わらず明治の血を引いている。明治は遠くなりにけり――ではないらしい。