論 考

危機の対処方法

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 新規国債34.9兆円、予算の国債費27兆円(うち9.7兆円利払い)、110兆円超の予算だが、1/3は国債だ。金利は遠からず上がる、素人が見ても、わが国の財政状態はきわめて悪い。

 本日、朝日社説は「政府予算案 借金づけの難局直視を」と、妙に間延びした見出しである。中身は深刻だから、直視どころではないのだが、いわばお手上げといった雰囲気だ。

 読売社説は「来年度予算案 歳出削減の努力が見当たらぬ」とやはりあきれ果てたという内容だ。

 なぜ、与党政治家はこの大きな問題に平気なのか。1つは、大きすぎて、陣笠程度がなにか言っても仕方がないと思っているのかもしれない。

 思うに、大物政治家にしても、問題が大きすぎて手がつけられない。一方、読売社説のように歳出削減の努力をやれば、利害のある団体から猛烈なしっぺ返しを食らうのは目に見えている。

 この構造において、彼らが考えるのはこうだろう。――毎度の予算は各方面から苦情が来ないように、選挙での支援をかたじけなくちょうだいできるように従来通り粛々! とやる。

 いつか、国家予算がパンクすることになれば、これまた問題が大きすぎて、首相であっても責任を負い切れない。政治家が負いきれない責任は有権者のみなさんにお返しするしかない。なにしろ、そうなれば国全体がパニックなんだから、一緒になって「阿鼻叫喚」すればよい。政治家たるわたしだって被害者なんだから。

 無責任体制も極まった。

 大パニックになってから、冷静沈着な対策が取りにくいのは歴史が示すとおりだ。予算をみながら、お互いに胆力強化トレーニングでもしましょうか。