週刊RO通信

岸田政権が政治の危機である

NO.1541

 12月15日、朝日新聞は「岸田政権と政治の危機 進退かけ信頼の回復を果たせ」という社説を掲げた。読売は「安倍派閣僚交代 政治資金の透明化を徹底せよ」、毎日は「安倍派の閣僚交代 小手先では不信拭えない」である。ここでは朝日社説について考える。

 いつもより長い社説だが要約すると、――安倍派をめぐる底なし疑惑は政治全体の危機的状況である。岸田氏は自民党の体質を一新すべく先頭に立って戦うと言うが覚悟のほどが伝わらない。ガラス張りの政治資金を実現できるか自民党の自浄能力が問われている。――

 なにか釈然としない。「岸田政権と政治の危機」ではなく、「岸田政権が政治の危機」ではないのか。8年間の安倍暴走政治の次は、岸田放縦政治だというのが多くの人々の受け止め方だ。安倍派パーティ券疑惑はわかりやすいが、岸田政権の放縦政治のほうがはるかに政治の危機である。

 ろくすっぽ答弁もしない(できない)岸田氏が進退かけたところで政治の信頼を回復できるとは思いにくい。むしろ、低次元の安倍派騒動が、岸田政権がもたらしている政治の危機的症状を覆い隠すという奇妙な現象を発生させている。社説にも、岸田氏の覚悟が伝わらないと書いている通りだ。

 政治資金について自民党の自浄能力が問われていると書くが、昨日や今日の話ではない。朝日社説子は、戦後政治を概観して、自民党に自浄能力があると理解しているのだろうか。政治とカネの問題が政治の危機ではなく、自分たちがつくった法律すら守らないような連中が最大派閥を構成し、日本の政治を好き放題に動かしていることが危機の本丸である。

 かつて安倍一派は朝日新聞を天敵扱いした。その朝日が、かくも自民党に大甘なのは、安倍一派の注射が効いたとみるべきなのだろうか。そうであれば、これもまた日本政治状況の大きな危機だといわねばならない。

 政治危機を大声疾呼して、岸田内閣を安定させることを第一とすれば、それは自民党内の噴出した矛盾をオブラートで包むだけである。

 要するに、岸田放縦政治と、自民党が自作自演した一大疑獄(おおがかりな汚職事件)とは同じ苗床から育ったのであって、岸田氏が進退かければ解決できるような代物ではない。

 そこで――かかる一大疑獄において、野党の存在感が薄いことを見過ごすわけにはいかない。岸田内閣や自民党の支持率が音を立てて落ち込んでいるにもかかわらず野党の支持率が上昇しないのは、朝日新聞においてすら、自民党の危機=岸田内閣の危機=日本政治の危機という先入見(意識せざるバイアス)に捉われているように、社会全体がその傾向にあるからだ。

 もちろん野党の非力は事実であるが、野党の主体性だけがその存在感を薄くしてるのではない。人々が自分の先入見に気づかねばならない。そもそも政治を委任する政党は自民党だけではない。すべての野党を含めて、政治に緊張感を植え付けねばならない。

 自民党一強だから自民党議員が弛緩するという指摘はつねにある。自民党議員に緊張感をもてと説諭するだけではなく、彼らが緊張感をもたねばならない状況に追い込む必要がある。たとえば、たかが世論調査ではあるが、内閣と自民党の支持率が下がると同時に野党の支持率が上がるようになれば、いかに鈍感な自民党であっても目が覚める。

 つまり、政治の安定がほしければ、有権者は政局をつねに不安定状況に追い込まねばならない。政局不安定が政治の危機ではない。政局不安定は政治家の緊張感を呼ぶ。政局安定は政治家を弛緩させ、つまるところ政治を危機へと追いやる。それが戦後日本政治の歴史的経験である。

 岸田氏が政治とカネの問題に進退かけて取り組むはずはない。なぜなら、岸田氏は自分の放縦政治が、自民党議員の支持によって成り立っていることを十分に知っている。だから、派閥を解体するような気概をもたないし、政治とカネの関係こそが自民党の本当の力であるから、ウミを出して、政治資金のガラス張りへ踏み出すことはありえない。

 岸田政権の安定が政治の安定を生むのではない。岸田政権になってから、政治が向上した面があるか、少し考えてみればわかるはずだ。