週刊RO通信

ハムを切り捨てたノア、その結末

NO.1537

 作家武田泰淳(1912~1976)は、中国に深い造詣があり東大生時代、竹内好らと中国文学研究会をつくって活動したが、1937年から39年まで兵士して中国戦線に放り込まれた。戦後1948年、評論「滅亡について」を原点として作家活動に入った。「滅亡について」は1万字ほどだが、自身が作家としての出発点を思索した内容にとどまらず、戦後文学の記念碑的作品であり、文学者としていかに社会とかかわるかを追求したと評価されている。

 ――滅亡の片鱗にふれると、自分たちとは無縁のものであった、この巨大な時間と空間を瞬間的にとりもどすのである――という一行に状況と無縁に生きていた反省があり、誰もが(世界と)無縁であれば、世界はまさに滅亡一直線であるという痛切な問題認識が読み取れる。

 たとえば、人間は他の生物の命を奪って生きている。殺生しながら、神や仏に救済をお願いする資格がない。極論であるが、理屈のスジは通っている。武田は浄土宗僧侶の資格を有するので、丸山眞男は極限和尚と名付けた。

 『誰を箱舟に残すか』という短編がある。箱舟伝説は要するに、いろいろなクライシスの行き詰まりのクライシスになった場合、誰かを生かすためにその他を犠牲にせねばならないという示唆である。箱舟では、神がノアを選んで生き延びさせたが、『創世記』(旧約聖書)第9章には、その後のノア自身が選択する話がある。『創世記』によると、

 ――箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテで、ハムはカナンの父である。全地の民は彼らから出て広がった。(人類の祖先ということになる)

 ――ノアは農夫となり、葡萄をつくった。葡萄酒を飲んで酔い、天幕のなかに裸で寝ていた。ハムが父の裸を見て、セムとヤペテに話した。セムとヤペテは後ろ向きに歩み、顔を背けて父の裸を見ず、着物を着せた。酔いが覚めてハムのしたことを知ったノアは怒って言った。カナンは呪われよ、彼は僕の僕になって兄弟たちに仕える――

 『創世記』解説書によると、古代のユダヤ人はことのほか裸体を他人に見られることに羞恥心をもったというが、それにしてもノアの怒りが異常である。これについて武田は、あっと驚く解釈(創作)を展開してみせる。

 「ノアは神から信託を受けた、いわば生き残った人類の審判者である。箱舟に選ばれたのは神の意志であったとしても、それが神の意志に適わないのであってはならない。ノアは神の信託を受けたリーダーとして責任の重さと孤独に耐えかねて呟く。セムは愚直だが政治的手腕がない。ヤペテは小才がきくが陰険である。ハムには才能がある。果たして3人に人類の未来が託されてよいものか。ハムはその呟きを聞いた。これがノアの隠しどころである。

 ノアはハムを悪い種とは見ていなかっただろう。しかし、リーダーの決定に疑いを挟まれてはならない。権威・権力は絶対である。そのためにノアはハムを切った。見られてまずかったのは権威・権力である。」

 武田は、これが旧約聖書の深い意味であると主張する。もちろん、武田の創作『創世記』であるが、旧約聖書の字間から読み取ったそれが完全なまちがいだという説は成り立たない。なにしろ詳細に書かれていないのである。書かれていない部分の解釈としては実に巧みで、納得性があるだろう。

 引用紹介が長くなった。『創世記』によれば、人類はセム・ハム・ヤペテの3兄弟から拡大してきたとされるが、武田説によれば、いちばん上等なハムの係属が奴隷に落とされて、凡庸なセムと猪口才なヤペテの係属が人類の主流ないしは傍流を務めてきたことになる。

 所詮創作だとは思いつつも、現実世界を見れば、世界のリーダーといえどもセムとヤペテによく似ており、上等なハムの出番がない。武田が生きていた時代には少なくともこんにちほどの混沌・混乱はなかった。状況を極限まで見つめる作家の視線が、ただいまの非ハム的世界を予言していたようだ。

 リーダーが自分の限界を知っておれば、自分よりすぐれた資質の人を後釜に据える努力するだろう。しかし、現実のリーダーは、権威・権力にぶら下がって自分の立場を守るのに精いっぱいである。かくして後から来る優れものは疎んじられ排除されやすい。だから世界は滅亡に向かっているのだよ、という限界和尚の呟きが聞こえてくるみたいである。