週刊RO通信

「貧乏くじ」から考えた

NO.1517

 富くじは、17世紀寛永時代に寺社修理費などをまかなうために幕府によって公認された。当時江戸では、谷中の感応寺、目黒不動、湯島天神のものを三富(さんとみ)と称したそうだ。私的な、つまり非合法のものが相当あったようだから、大きいのから小さいのまで相当はやっただろう。いわゆる一攫千金は、しがない庶民のささやかな夢でもある。

 貧乏くじなる言葉がある。わさわざ損害を求めてくじを買う人はいない。貧乏くじを引くといえば、損な役回りいうわけだ。貧乏とくじという反対の言葉を1つにしたのはなかなかの思い付きだ。宝くじは買っても当たらないが、貧乏くじは買わなくても当たる。いずれにしても運である。運に任せていてはろくなことになりませんよ、という含意だと思えば少し風味がある。

 電車内でまったく知らない人々に襲い掛かって負傷させた犯行者が、裁判で、僕だけが貧乏くじを引いている。あらゆる人が幸せに見えて、憎しみで世の中が灰色に見えた。思いつめて幸せな人に復讐したかったらしい。乗り合わせて負傷した人は、とんだ貧乏くじを引かされた。

 社会は大きくてつかみどころがないが、理屈でいえば、1人ひとりが寄り集まって社会をつくっている。犯行者もまた社会をつくっている1人である。世の中が灰色に見えたというのは、実は自分が灰色に見えたともいえる。それよりも、犯行の最大の力は嫉妬の気持であろう。

 嫉妬という精神状態は取り扱いがきわめて厄介である。いちど火がつくとなかなか消えない。昔、大酒を飲んだ人の寝たばこが布団に点火して、たまたま数人が1室に寝ていたので気づき、あわてて土瓶に水を汲んできて消火した。ところが、2時間後にパッと炎が立って、大騒動した。嫉妬の火はこれとよく似ている。一度点火すると少々のことでは消えない。

 自分よりすぐれた者を妬む。シェークスピア(1564~1815)『オセロ』のイアーゴがオセロ夫婦をじわじわ執拗に破局へ追い詰める物語は、人間のいやらしく汚く、狡猾な側面としての嫉妬のすさまじさを、これでもか、これでもかと鋭くえぐり出す。もし、人間に嫉妬心がなければ、すべての陰謀・諍いはなくなるのではないかと思わされるほどだ。

 皮肉な言い方をすると、組織の人事は、人の嫉妬心を利用して競争させることによって、組織への忠誠心を巧妙に高めさせているようでもある。友人が出世したとき、素直に祝福できる人は多くはない。友の喜びにわれは舞うという気風であれば、逆に、友の不遇には同情するだろう。

 他者の幸せを妬むのは、要するに自分からして他者は不幸であってほしいのであって、もし、社会の人々がすべてこの気風になれば、世の中は暗くなるばかりである。週刊誌などの、のぞき記事が好まれる。大方は、失敗したとか、スキャンダルである。刃物を振り回してはいないが、いわば、他人の不幸を見て留飲を下げようというわけだ。

 嫉妬は自分を基準として考えているようだが、本質はそうではない。実は、他人が基準なのである。すぐれた(と思う)他人を基準として自分を考えるのだから、当然ながら自分はそれに劣る。他人が宝くじに当たったからではない。自分なりの生活をつくってきた結果である。

 他人が、自分より上か下かの相対判断によって、自分の元気が決まる気持ちの状態を、わたしは「相対元気」と規定して、そうではなく、自分基準をつくっていこうという提案をしてきた。いわば、それが開発した人生設計の核心である。どうも、日本人は自分基準を構築するのが不得手らしい。

 自分基準とは、個性であり、自我である。この言葉は西洋ルネサンスで開発され、15世紀の啓蒙主義から19世紀の教養主義へと展開発展してきた。日本では、ルネサンスという大思想変化の体験がない。もちろん明治時代には個性も自我も言葉自体がないし、近代化でもその対象のほとんどはハードであって、哲学や思想はしっかり学ばれなかった。

 学校教育における受験合格主義や、システムだけが精緻巧妙になって、個別の人間をきちんと見ない管理社会(企業中心に)、AI絶対主義の気風が、果たして自分基準を確立する人間を増やす可能性があるか。残念だが、その逆の可能性がはるかに高い。貧乏くじを引く人が増えるのが心配だ。