週刊RO通信

憲法第9条が死ぬ-のではない

NO.1514

 さいきん、憲法第9条が死んだとか、死文化したという表現をしばしばみる。もちろん死んだという人々の多くはそれが上等という立場ではなく、残念至極であって、この国の行く末を非常に危惧している。

 憲法第9条を毛嫌いする立場は、国というものは立派な軍隊をもって内外に威容を誇りたい。軍事力を四囲に轟かせてこそ大日本国だといいたいらしい。ただし、戦争に突入すれば、威容どころか悲惨なものである。

 しかし、どうもよくわからないのは、自衛隊がいかにしてわが国民と国土を防衛するか。おカネもないのに高額の飛び道具を購入するところをみると、まずは飛び道具対飛び道具の合戦を想定しているようだ。

 そこから、敵が当方を攻撃することが探知できた時点で機先を制するという議論もされている。しかし、日本の探知能力が、相手のトップシークレットである意思決定も含めて見抜く力があるとはとても考えられない。

 北朝鮮の誘導飛翔体打ち上げに際して、事前に探知した事例は聞かない。優れた官僚諸氏がいるので、実はわかっているのだが、本番に備えて、能ある鷹は爪を隠しているのだろうか。まあ、だいぶ無理な話だ。

 ミサイル対ミサイルにおいて、100発100中の防衛網が構築可能だろうか。かつて、東条英機は陸軍航空幹部候補生への講演で、「敵の飛行機を落とするのはなにか?」と質問した。生徒が「機銃で落とします」と答えたのに対して、「バカッ、精神力で落とすのだ」と語った。

 このような唖然とする笑い話は聞こえてこないが、高額飛び道具を揃えれば安全が守られるという物語もまた、そのまま安心できる材料にはならない。

 ウクライナ戦争をみていると、かの地には至る所に立派な地下壕、要塞があるようだが、わが国の場合、Jアラートが鳴っても、安全な避難場所は思い当たらない。

 まあ、こんな話は面白くもないので話を戻そう。憲法第9条が登場した際の議会では、第9条は15年戦争を指導した政治家諸氏のさしたる話題にならなかった。これはまことに奇妙な話だが、事実だから仕方がない。

 政治家諸氏の頭をぐらぐらさせたのは、天皇主権が象徴天皇制に代わり、主権在民になったことであった。軍部の独断専横にほとほと疲労困憊していたにしても、敗戦までは軍事力こそ国力とばかり、経済も国民生活もほとんど無視して入れ込んできたにしては、やはり奇妙な雰囲気である。

 尾崎行雄(1858~1954)は、「このような立派な憲法を前にして、われわれは性根を入れ替えて政治をやらねばならない」という趣旨を演説した。これは、まともな政治家の反省を踏まえた決意表明だと思われる。

 ともかく、1941年真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争に狂気乱舞し、1945年敗戦の玉音放送にシュンとした人々は、平和憲法を歓迎した。

 相手に攻められた戦争ではない。こちらが出かけて暴れた戦争である。敗戦を体験してみれば、なにに熱狂したのか、熟慮して戦争を歓迎したのではなく、煽られ煽ってのぼせ上っていたのは事実である。

 戦争するには大変な精神的物理的力を必要とする。憲法第9条は、破壊と殺戮に奔走するよりも、平和な世界・国つくりをしようという提案である。少なくとも、敗戦からかなりの時期まで憲法第9条を大切に思う人は多数派であった。また、少し勉強した人は第9条に背中を向けない。

 不幸だったのは、戦後政権を握った自民党が再軍備方針を押し立て、軍事力抜きの平和な世界・国つくりを徹底して排してきたことだ。1955年の結党以来、自民党は政権を担いながら憲法をコケにする政治に熱心だった。

 第9条だけではない。「人間の尊厳=基本的人権」に対する本気度が決定的に弱い。基本的人権を主張する人を左翼だと罵倒する連中が少なくない。

 自分の人権と他者の人権を大事にする。これが民主主義の出発点だ。

 自民党においては、悪しき差別をしてはならないというような、本質を無視した弁舌がまかり通る。差別は悪いのである。差別される人の立場でものを考えることはおそらくなかろう。幼稚、未熟ともいえる。

 わたしは、平和憲法と民主主義を大切に展開する立場を手放さない。憲法第9条は高い知性の人間をめざせと語っているのでもある。