論 考

マスク氏は謙虚と慎重であってほしい

 マスク氏がいわゆる言論の自由絶対主義を掲げて、トランプ氏などのアカウント凍結を解除したが、こんどは、反ユダヤ主義の投稿で問題視されているラッパーのカニエ・ウエスト氏のアカウントを凍結した。

 ナチの鍵十字と、ユダヤのダビデの星を組み合わせた投稿をしたのが理由とされる。

 さっそく、言論の自由の絶対主義は限界だとして、マスク氏が解体したコンテンツ・モデレーション体制は必要だという声が出ている。これはしごく当たり前の理屈である。

 はっきりしていることは、言論の自由は基本的価値であるが、その言葉だけですべてを律すれば、行き着く先は大混乱だという批判を否定できない。

 マスク氏がいろいろ学びつつあるという見方もあるが、氏のツイッターに対する基本的立場がまだわからない。マスク氏は万能感に酔いしれていないか。

 マスク氏が慈善事業としてツイッターを運営するのでないとすれば、経営が成り立たねばならない。無責任なユーザーは混乱歓迎だとしても、広告主は低質・悪質な投稿が多くなるのを嫌う。

 学びつつあるマスク氏に影響を与えているのが広告主だとすれば、振り回している言論の自由絶対主義自体が、氏のご都合主義だということでもある。

 夏目漱石(1867~1916)は『猫』で、実業世界で生きるのは、恥をかく・汗をかく・義理をかくと書いたが、目下は、まあ、それを地で行くみたいだ。

 資本主義の最悪の面は、自由放任がもたらす弱肉強食と社会の混乱である。急速にのし上がった、アメリカン・ドリームの象徴のマスク氏は、まさに、アメリカ的民主主義の欠陥をも体現している。

 いずれにしても、SNS→社会がなんとも始末に負えないことになれば、困るのは社会の人々である。