論 考

狂った世界を見たくない

 ロシアの対ナチ戦勝記念日におけるプーチン演説は、特別軍事作戦の内容に触れず、戦争宣言もなかった。結論からいうと、今後のロシアの計画がまったく見えなかった。

 プーチン自身が、戦争の新展開(停戦方向も含めて)を左右できる決め球を持っていないから、相手の出方待ちとも考えられなくはないが、アメリカはじめ西側もリーダーシップを発揮する用意がないから、膠着状態である。

 戦前、マリウポリは極右戦闘集団アゾフ連隊が防衛していて難攻不落だと報じられていた。たしかに、まだ墜ちてはいないが、格段に弱っていることは事実である。

 司令官と副司令官が、フィナンシャルタイムズの取材で、(兵士が最大2,000人くらい残っているようだが)投降はあり得ないと語ると同時に、2014年のクリミヤ併合以来、ウクライナ政府が防御に力を入れなかったとも語った。前線の部隊が政府批判らしき言葉を吐いたのは初めてである。

 プーチン演説は、変化を予測させるものがなかった。しかし、はっきりしていることがある。戦争が長引くと戦争慣れして、戦争以前と戦争の因果関係が無視される傾向が強まり、戦争継続が自己目的化する。

 戦争の歴史がなんどでも繰り返されるのは、戦争の因果関係が無視されて、戦争勃発の原因究明や、国家関係(国際関係)の改善がおこなわれず、戦争という事件だけが記憶に残るからだ。

 その責任は、もちろんプーチンが最大の責任者であるが、結果的に戦争を継続することしかできず、長期化に加担しているすべての政治家が問われる。

 映画『カサブランカ』(1942)で主人公のリックが、「俺は粗野な男だが、こんな狂った世の中を見過ごせない」と語る。政治家諸君にその気概ありや。