週刊RO通信

思考習慣の停滞が危ない

NO.1441

 1月7日にオンライン開催された日米外務・防衛担当閣僚会議(2+2)の報道では、内容がよくわからない。――読売社説(1/8)は、安全保障環境が急速に悪化しているので、日米同盟の一層の強化が必要。そして、日本自身がより大きな役割を果たす必要があると主張した。

 共同文書では、(中国などの)「急速かつ不透明な軍事力の増強」、「先端兵器システムの大規模な開発や配備」に懸念を示し、「日米同盟を絶えず現代化し、共同の能力を強化する」ことを強調したので、読売社説はその流れに沿って、さらに日本の積極的役割の推進に踏み込んだといえる。

 中・露・北朝鮮が開発する超音速兵器、変則的軌道で飛ぶミサイルは、いまのミサイル防衛体制では迎撃が難しいから、先端技術で対処力を向上させよ。先端技術での日米共同研究開発などが取り沙汰されているらしい。

 そして読売社説は、深刻化する安保上の課題にたいして、抑止力と対処力を高めよと主張するのだが、素人の頭では、果たして安保環境悪化にたいする効能があるのかどうか。どうも納得できない。

 外務・防衛の2+2であるが、会議の中身は軍事論一本鎗で、外交論らしい議論がなされたのか。とんとわからない。軍事力・技術の均衡が崩れてきているという不安・危機感に支配された会議だったのだろう。

 世界の安全保障論は、いわゆる力の均衡論である。力の裏付けがない正義は正義ではない。力が伴ってこそ正義だという。力がつねに正義の側にあればよいが、力自体が正義を意味しないから始末がわるい。

 第二次世界大戦後、アメリカを世界の警察官とよぶ向きがある。この警察官はしばしば暴走して、世界中に混乱・紛争・戦争を巻き起こしてきた。たまたま日本は、大東亜戦争に降参して以来、べったり関係を維持してきたが、世界中の国々が、そのようにありがたがっているわけではない。

 中国が、この20年間で国防費を10倍近く増やしたことが脅威だとする。アメリカの防衛費は7.780億ドル、中国は2,520億ドルで、アメリカの30%程度である。そもそも、アメリカや日本が中国の防衛費を決定する権限をもつわけでもない。

 経済にせよ、国防にせよ、中国の台頭は、中国自身の取り組みの結果である。アメリカが超大国であって、他国がそれに並ぶのがけしからんという理屈は恥ずかしい。超大国が「お山の大将ボクひとり」と言うような度量の狭さでは、超大国の名が泣く。

 中国最初の国家統一は、BC221年である。1911年に清が滅びるまでが2,132年。いまや、古代王朝の殷が成立したBC16世紀からすれば、ざっと4,000年の歴史がある。

 今年は、1840年のアヘン戦争から182年、新中国建設の1949年から73年、1978年の改革開放から44年である。この間、中国の進化発展はおそらく世界に類を見ないものだろう。

 こんにちの中国の台頭は、アメリカの手柄でも責任でもない。アメリカはポジティブで活力ある人々の国であるが、いささか、自分たちの万能感に陶酔しすぎたのではないか。

 それがアメリカをてっぺんにいただく、世界一極支配論となり、アメリカの采配を絶対としたグローバリズムという、世界規範だと思い込んでいるならば、ヒトラーが夢想したことと大差はないし、かつての日本流なら八紘一宇と同じである。

 日米2+2には、官僚政治家の好ましくない匂いがある。軍事力には軍事力という、従来の半分眠りこけているような思考習慣に基づいて、その枠内だけで、対策を講じようとする。軍事力偏重による問題解決策は、逆に問題を悪化させる可能性が高い。外交論が聞こえてこないのが問題だ。

 日米は、軍事力をもって本気で台湾を守る気構えなのか。いざとなったら見捨てるのではないのか。見捨てず守り抜くというのであれば、世界大戦になりかねないが、それも日米2+2の政治家諸氏は織り込み済みなのか。

 危機を煽る一方で、「そんなことにはなるまい」と思っているのではないのか。政治家的思考習慣の停滞を感じずにはいられない。