週刊RO通信

「ガラガラポンとしがらみ」論

NO.1434 

 ガラガラポンは、手回しの抽選器である。年末商店街売り出しなんかで、豪華景品が当たる抽選券をもらう。ヨシ、当ててやるぞ、ひそかに意気込んで、抽選器の把手を回す。ガラガラ音がする、止めると玉がポンと飛び出し、豪加ならざる参加賞がいただける。ハイ、毎度ありがとう。

 ガラガラポンが転じて、たとえば何ごとかを全面的に変更する意味に使う。実は、たいがいは当たってもさして豪華でない景品である。とても、全面的変更を意味するような抽選ではない。日本人のちょっとした皮肉のセンスが含まれていると思えば、まあ、少しだけ笑える。

 選挙がよく似ている。政権交代と打ち上げれば、それが叶った暁にはガラガラポンみたいである。ところがどっこい、敗戦後の大方の期間を保守・自民党が政権の座にあった。もし、野党が政権を奪えば、政権自体はガラガラポンだが、外交・安全問題でガラガラポンが直ちに実現するわけではない。内外に、継続性の原理というべきか、巨大な慣性が立ちはだかる。

 二大政党論が論壇では絶えない。かりにそれが実現したとしても、政治自体をガラガラポンするためには、過去の経緯を分析・総括しなければならない。それなくしてA党からB党に変わったのだから、新規まき直しで、いままでが全部チャラですよというわけにはいかない。

 2009年に民主党が政権に就いた。過去の経緯の分析・総括などおこなうどころか、前政権の後を引き継ぐことに忙殺された。とにかくすべてがよろしい方向へ変わるだろうと期待して投票したのだから、早くうまくやって当然というのが世間の気風だ。ありがたくない過去の遺産に加えて、東日本大震災・原発事故発生で、民主党政権は足掛け4年で頓挫した。

 それはさておき、今回衆議院選挙では、躍進が期待された野党が伸びず、老舗自民党+公明党が、当初予想されたほど減らなかった。投票結果は事実であるが、なぜ、そのような結果になったのか、確かなことはわからない。

 投票率が上がらなかった。これは職業政治家とそのコミュニティ全体が問われるべき問題である。しかし、選挙後の論調は、投票率を引き上げるように風を起こせなかった野党が悪いという気風である。

 与党は下野しても仕方がないほど、ろくでもない政治をしたから、政権交代という言葉が飛び交った。信任投票として見れば、与党の信任は固定ファンによる。投票率が上昇しなかった責任は与党のほうが重たい。ガラガラポンとは、勝てば官軍・負ければ賊軍の含意もあるみたいだ。

 どうも、新聞で使われる言葉が不鮮明でいけない。「過去のしがらみにとらわれないで」と書く。しがらみは柵であって、水の流れをせき止める。転じて、まといつく過去というのである。

 ここで要注意は、歴史的思考としては、過去があるから現在がある。歴史上にも突然変異的な事態が発生することはあるが、過去を無視するのは過ちを冒す危惧が大きい。ガラガラポンしても、過去の歴史は消せない。

 日本は敗戦によって民主主義になった。天皇主権が主権在民に変わったのは、まちがいなくガラガラポンである。過去のしがらみにとらわれない人は、民主主義オーライでやってきた。一方、戦後ほとんど政権を担ってきた保守党・自民党は、安倍氏のように、戦前国家主義への志向性を隠さない。

 すなわち、自民党は過去のしがらみに生き、主張し、行動している。一方、民主主義、リベラルを掲げる立民は、過去のしがらみを乗り越えている。自民こそが過去のしがらみを乗り越えねばならない。

 敗戦後なんて昔のことであるとして、そこからの諸々の歴史的経緯を無視するならば、国家主義志向・上意下達タイプの自民的政治姿勢を是とすべしという流れになる。これでは、戦前的思想へ先祖返りするのと等しい。

 リベラルを左翼と罵ってきたのは自民党だ。昨今は、おおかたの新聞も似たような解釈をしている観である。歴史など考えたくない人は、左翼・右翼と対置すると、中道が無難に見えるらしい。正しくは、リベラルとは民主主義の立場そのものである。ラベルは慎重に貼らねばならない。

 ガラガラポンも、しがらみ否定論も、歴史に対する真摯な気風が薄い。歴史を無視するコミュニティは危ない。歴史はくり返すという言葉は大事だ。