論 考

科学立国なるコピー

 科学立国の看板通りにいかない。世界論文発表ランキングで、日本は10位だ。2019年の官民研究開発費は18兆円だが、この10年間ほぼ横ばい。政府の国立大学への交付金が減り続けていることも大きい。

 資金を投入すれば研究開発の成果が上がるというものでもない。企業の研究開発は利益直結のテーマを追求する傾向が強い。これは、昔からだ。ポストドクターが就職できず苦しむ話はずいぶん前から聞くが、手当がされた気配はない。

 日本は、敗戦後一貫して、基礎研究が弱いと指摘されてきた。他者に比較して基礎研究に強い企業は、もちろん存在したが、いずれも事業活況を前提としていたのも事実である。

 新自由主義が天下を取ったのは21世紀に入ってからだが、これは、煎じ詰めれば利潤ファーストである。企業内で研究者が「儲かる研究をせよ」という気風のなかで肩身が狭いのは、半世紀前からほとんど変わらない。

 だいたい、日本人は創造性の気風が薄い。それが強く出たのは、明治維新からの30年と、敗戦後の30年である。いわば、現在は1980年代までの蓄積で食っているようなものだ。

 政治家が科学立国などのコピーをかざせば、まあ、反対す人は少ない。しかし、それが、極めて長期的に人々の気風をも変えていかねばならないことを本気で認識している人がいるのだろうか。