論 考

疲れを知らない?

 新聞に「自粛疲れ」という表現が登場する。「アベノマスク」は、江戸時代以来の庶民的戯作者精神に裏打ちされている。佳作である。

 最近は知らないが、昔は、「大きなイベントがなかった翌日のスポーツ紙を見よ」と言った。たいしたことがなかった場合に、読者を惹きつけるにはどうするか。スポーツ紙は、見出しも記事の内容もおおいに工夫するから、編集者としては非常に勉強になるというわけだ。

 事件・事故の報道は他者に先駆けんとしてバイアスがかかるし、デカデカと煽動的見出しが躍るのは珍しくない。この事情は、読者としてよほど心しておかないと、常時煽られやすくなって、社会不安を拡大しやすい。

 そうでなくても昔から日本人は直ぐに火がついて騒動しやすいと言われた。和辻哲郎(1889~1960)は、「日本人はディオニュソス的であり、パトス的である」と指摘した。もちろん、ディオニュソス的であることは、既存秩序に抗するとか、ここ一番、火事場のくそ力を出すという面もあるが、さて、いまの日本人はどんなものか。

 わたしは「自粛疲れ」などしていない。毎日、新聞を読み、ネットで検索する刺激は捨てがたい。政治家がどこまでも恰好つけているのを見るのは、バカバカしく面白いし、どのあたりで「演技疲れ」するだろうかなどとも考える。

 感染のデータは日々に記録更新! されるが、ウイルス対策の中身にさすが科学的とか、おっ、前進したなというものがないのは残念である。中身のない記事を延々と書かねばならない記者さんが、「取材疲れ」しないことを期待する。