論 考

宣戦布告なき戦争

 朝日社説(1/6)「米イラン緊迫 報復の連鎖を避けよ」を読んで考えた。社説の指摘はその通りである。

 しかし、よく考えてみれば、すでに米イランは戦争している。宣戦布告なき戦争である。経済制裁は、制裁という名目だが、実は昔の城の水攻めと同じで、じわじわと締め上げている。宣戦布告なき戦争こそもっとも悪質だ。

 米イラン関係の報道を見る場合に、イランの立場で事態を見つめないと、その深刻さが理解できない。

 国家観の問題を考える場合、国家に対して道義的行動を強要できる超国家的権力がない。国連に全面的依存して片付く問題ではない。

 いままで、国際間の均衡が維持されていたのは、もっとも大きな権力をもつ米国が、寛容的=多少の譲歩をおこなうという暗黙の前提があった。換言すれば、国際秩序維持は、米国の手綱さばきにあったわけだが、国際道義の認識がないトランプ氏の登場によって、米国が率先して既存の秩序を破壊している。

 今回のイランのソレイマニ司令官殺害も議会には一切の相談がない。このような事情を前提として考えると、世界はトランプ氏の意のままであり、非常に危険な事態に立ち至っている。

 5日に、イラン政府は「ウラン濃縮について一切の制限を撤廃する」と声明したが、原子力監視機関への協力は依然として担保している。各国外交への期待を示していると考えるべきだ。

 日本政府には、ここ一番大活躍してもらいたい。