論 考

日産社長解任の教え

 日産社長辞任は取締役会が機能して事実上の解任である。

 オーナーが多い中小企業では、社長が「わしの会社だ」「わしが会社だ」、鉛筆1本まで「わしのもの」だと言う――こんな話をよく聞く。

 超大企業ともなれば、経営層内部の統治がきちんとしていると思われやすいが、本当のところはわからない。日産が特別の事情であろうか。

 本日の社説によると、朝日は「日産社長辞任 今度こそ経営刷新を」。読売は「日産社長辞任へ 企業風土の刷新につなげよ」。日経は「日産社長の辞任を主導した社外取締役」という見出しである。

 見出しが正しいのは日経である。ことの本質は本人が率先して辞任したのではない。朝日も読売も見出しは妥当ではない。

 さらに、朝日の「経営刷新」は妥当だが、読売の「企業風土の刷新」は外れだ。もちろん、全社員が持ち場でしっかり使命を果たしていれば経営層の不祥事が起こらないかもしれないが、なにしろ経営内部のことは社内であってもなかなかわからないだろう。

 昔、日産には「天皇」がいた。こんな言葉が登場するのはトップダウンが強いのである。すべてが順当に動いていればトップダウンは正解みたいであるが、大企業において、ことはそんなに簡単ではない。

 ゴーン氏が大ナタを揮えたのもトップダウン体質が強かったからであろう。ドカンと雇用削減して、1年少しで残った社員にボーナスの大盤振る舞いをしたのも忘れられない。

 そうすると、読売的「企業風土の刷新」が意味するのは、上が言うことだからと単純素朴に飲み込むのではなくて、おかしいことはおかしいと口答え! できる企業体質にせよということではないかしらん。

 読売もトップダウン的体質が強く、ナベツネ方針に逆らえば居場所がないらしい。読売の内部事情を皮肉った社説であろうか。これは、ちょっとおちょくりであるが、いずこの企業でも、自由闊達な組織文化をつくることがなによりも肝心である。