論 考

木を見て森を見ずではいけない

 新聞がしばしば「民主主義の危機」という表現を使うので、この言葉がマンネリ化して、上滑りしていると論ずる向きが多い。

 たしかに言葉というものは常に意味の核心を理解してもらわなければ発信する側の意図が通じないし、多用されることによって新鮮味が薄れる。

 安倍一派は、あたかも官僚システムが勝手に忖度行動を起こして馬鹿をやったという流れで遁走したいのであるが、本丸は間違いなく「安倍」その人であって、森友問題発覚以来1年以上、国会でインチキ答弁を重ねている。

 森友も加計もその実体は、関わった政治家・官僚の国民に対する背任であって、犯罪行為である。だから直接的には国民が損害を受けたのであるが、ことは刑事事件ではないのである。

 このような悪質な行為を、首相ポストに就いている者がおこない、それをキャップにいただいている自民党並びに与党・公明党が、なんら自浄能力を発揮していないのである。

 非力の野党が、この1年間、コツコツ調査して追い込んできた。一挙解決できないのは野党のせいではなく、巨大与党の数の力の故である。

 議会を牛耳っている与党が、国民の目の前で平然と悪事を眺めているわけだ。

 したがって、それは悪事を働いている連中よって、国民が被害を受けたという範囲に止まらず、「民主主義の危機」だという次第なのだ。