論 考

ささやかな発見

 たまたま、調べたいことがあって『偉大なる道』(A・スメドレー)を手にした。古書店で買って、最初に読んだのが9年前だった。

 その後、中国国家副主席になった朱徳(1886~1976)の60歳ごろまでの聞き書きである。重ねて、その時代の記述も正確で無駄がない。

 「革命が勝利したならば、われわれは国を開発しよう。人民は十分に食って着て、汽車や自動車に乗り——」という記述がある。

 なんてことはないのだが、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の『活着』(邦題・活きる)で、主人公の葛優(グオ・ヨウ)が孫に語るセリフを思い出した。

 たぶん張監督はスメドレーを読んだだろう。

 スメドレーが脱稿していざ出版という時、アメリカは酷いマッカーシー旋風で赤狩りの最中だった。出版できず、仕事も来なくなり、スメドレーは失意のうちに英国へ渡って、1950年に亡くなった。

 スメドレーの友人が原稿を、岩波の『世界』編集長の吉野源三郎さんに紹介し、吉野さんが、阿部知二さんに依頼して翻訳し、『世界』で54年から55年にかけて連載し評判になった。日本で単行本化されたのが55年春、岩波文庫になったのは77年である。米英では、その後からようやくスメドレーに光が当たった。

 中国北京の八宝山革命公墓には「中国人民之友美国革命作家 史沫特茉女士之墓」と記された墓碑があり、朱徳の文字だそうだ。

 張監督が生まれたのはスメドレーが亡くなる1か月前だった。