週刊RO通信

世論の1人として考える

NO.1303

 世論というものは、実際のところ掴みどころがない。いったん緩急あれば、あっという間に沸騰して爆発的な力を発揮する。しかし、その本質がどこにあるのかわからない。昨今はとりわけ収まり具合がよろしくない。

 哲学者カント(17201804)は75歳で、『永遠平和のために』(1795)を書いた。軍事費の増大は国内経済を逼迫させる。実際、民衆は軍事費捻出のために酷税に悩まされた。これは、いまも同じ構造である。

 常備軍そのものが、対する国同士の間で疑心暗鬼を招き、先制攻撃の原因にもなる。防衛名目の軍事力拡大が国家間の不信感を高めて、さらなる不信感が拡大する。無益有害なイタチごっこは始末が悪い。

 常備軍を形成するのは人である。カントは、「人を殺すために人間を雇うことは人間性の権利に反する」とした。中国では大昔から、「好鉄は釘にならず、好人は兵にならず」という言葉がある。否定できない論理である。

 カントは、軍事力均衡による平和維持論は妄想だと主張した。戦争は権力者のバクチである。対米英開戦につき、1941年11月4日の軍事参議院会議において、東条英機は「2年後の見通し不明なるがために無為にして自滅に終わらんより難局を打開して将来の光明を求めんとするなり」と断じた。

 権力者にとって「戦争は交通事故みたいなものだが、革命は雪崩である」という言葉がある。当時の国内事情は、31年の満州事変に端を開き、37年から日中戦争が本格化し、国民生活は年を追って不自由になった。

 権力者は考えた。ここで戦争回避へ舵を切れば国民の不満が大爆発して内乱・暴動が起こるかもしれない。なにしろ、満州事変以来、権力者は国民を煽り立て(宣戦布告はしていないが)聖戦を標榜してきたのである。

 戦争を回避すれば、対中国戦争の成果(?)も、満州国も手放すしかない。朝鮮統治も危うい。すでに戦死者数十万、負傷者数十万、数百万の軍隊と一億国民に戦場・内地で大きな辛苦を積ませてきた。

 ならば、この際一か八か、戦争に突っ込もうという無責任である。戦争になれば挙国一致、権力を行使する連中にすれば、むしろ好都合である。敗戦まで責任を問われることはない。かくして敗戦色濃厚となった際は、一億玉砕を叫んだのである。交通事故と雪崩の比喩はまことに正しい。

 カントが指摘したように、民衆が、権力者がバクチをやっていることを認識すれば、そんなことに付き合うのはごめん被るであろう。戦争というバクチを求める民衆はいないはずである。

 しかし、満州事変以来、新聞・ラジオなどは総動員で聖戦推進論であった。世論に理性が入り込む隙間がない。後から考えればまったく不条理である。不条理を支え続けているのは結局日々の思考習慣である。

 19世紀の欧米の思想は、デモクラシーにおいては、世論は必ず勝利する。なんとなれば世論こそが正義であるという視点に立っていた。その世論とは、理性に基づくものである。

 第一次世界大戦後、1920年に国際連盟が結成された。全欧州を惨憺たる結果に引きずり込んだ戦争、その反省から生まれた国際連盟は強大な武器を持つはずであった。その武器とは、物理的力ではなく、世論にあると期待された。これは輝かしい理想を達成するための手段である。

 世論こそが国際連盟の強大な武器だという考え方は正しい。しかし、それから19年後に第二次世界大戦が勃発した。なぜなのか? 結果的に、正義であるはずの世論が戦争を拒絶できなかったのである。

 カー(18921982)は『危機の二十年』(1939)において、「理想主義者の欠陥は無垢であり、現実主義者のそれは不毛である」と指摘した。正義の世論は勝利するはずだが、世論必ずしも正義ではない。

 魯迅(18811936)は、辛亥革命(1911)で清朝を倒し、翌年共和制の中華民国が建設された後、「封建制の清朝を倒すのは割にやさしくできたが、次の改革は国民が自分で自分の悪い根性を改革することなので、尻込み始めた」と指摘した。この鋭い指摘はそのまま今日の日本人に当てはめられる。

 日本は敗戦後、デモクラシーになったのであって、したのではない。デモクラシーの民足りうるかどうか、胸に手を当てて考える時だと、私は思う。