週刊RO通信

怪しい権力は隠し事が多い

NO.1298

 ウィキリークス(WikiLeaks)の創始者ジュリアン・アサンジ氏が、エクアドル大使館で7年間の潜伏生活に終止符を打たされた。イギリスがアメリカへ送還するのではないかと懸念されている。

 ウィキリークスは、匿名による政府・企業体・宗教団体などの機密情報を公開するウェブサイトで、2016年10月4日に立ち上げられた。同サイトは極秘資料なるものを120万点以上保有しているらしい。

 投稿者の身元を露見させずに、掲載した文書を閲覧者が分析して真偽が確認できるようにする。フェイク情報などを厳重にチェックする機構が確立されている。活用しているシステム企業はPRQ(スウェーデン)で、同社は顧客に関する情報をほとんど持っていないそうだ。

 2010年4月にウィキリークスは、07年7月12日、イラクの米軍ヘリがイラク市民や取材記者らを銃撃して殺傷している動画を流した。

 その後、情報を漏洩させたB・マニング米軍情報分析官(当時)が逮捕され、13年に軍法会議にかけられ、禁錮35年の判決を受けて服役した。罪状は、スパイ罪・機密情報漏洩などであった。その後オバマ政権末に、禁錮7年に減刑されている。

 アサンジ氏がエクアドル大使館で亡命生活を送ったのは、逮捕されてアメリカへ送還されると極刑に処せられることを懸念したからだという。

 ロイター(4/12)によると、アサンジ氏逮捕の4月11日、米バージニア州アレクサンドリア連邦裁判所が、すでに提出されているアサンジ氏の起訴状の内容を公表した。

 それによると、「(アサンジ氏が)10年、B・マニング米軍情報分析官が、政府ネットワークへ侵入するためのパスワード解読を助けることに同意した(罪)」ということになっている。

 その時点で、悪名高いグアンタナモ米軍基地の拘束者の情報などを流していたが、それらの情報公開に対しては触れず、パスワード・ハッキングを問題にしている。いわば窃盗罪である。

 ならば軽い罪と考えるが、いわゆる別件逮捕流であって、一旦逮捕すればピシパシやられる危惧を拭いされない。

 17年に、イギリスはウィキリークスを報道機関として認定している。報道機関がやったことを、権力が恣意的に裁くのであれば「報道の自由」が侵害されると批判される。起訴内容は、巧妙な戦術に見える。

 話が遠大になるが、1787年5月、米フィラデルフィア憲法制定会議(議長J・ワシントン)で議論し制定され、1788年6月に発効したアメリカ合衆国憲法の特徴は、人民主権第一である。連邦政府は、人民から一定の権限を委託された「権限の制限された政府」(limited government)であって、「権力抑制」が全面的に押し出されている。

 同憲法修正第1条には、「連邦議会は、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由を禁止する法律、また言論および出版の自由を制限し、または人民の平穏に集会をし、また苦痛事の救済に関し政府に対して請願をする権利を侵す法律を制定することはできない」とある。

 これにより、合衆国最高裁判所は「政府情報のリークに対し、法的な保護を受けられる可能性がある。公的談話の範囲内では匿名性は保証されて然るべきである」という見解である。情報公開が大切にされている。

 欧米では、第一次世界大戦(191418)までは、戦争は職業軍人の問題であり、外交は職業外交官の課題である、という気風であった。戦争によって、人々は外交を政府の専権事項として「お任せ」していた迂闊に気づいた。

 たとえば、多くの国民が秘密条約を戦争の原因の1つとして非難するようになった。外交もそうであるが、権力者に全面的委任していると、後で吠え面をかくのは国民1人ひとりである。敗戦までの日本は酷いものだった。

 たまたまアサンジ氏が話題であるが、わが国政府の情報公開面に目をやれば、議会での論議、記者会見を通して、ほとんどその気がない。「由らしむべし、知らしむべからず」の古くかつ悪しき伝統が、その筋の方々のお仕事の不可欠の要素である。アサンジ氏問題は他人事ではない。