論 考

プアなスピーチのお手本

 わたしが組合役員を辞めたのは1982年である。

 当時、いろんな会議で組織のリーダーのスピーチを聞くことが多かった。人によって話し方の巧拙があるが、概して、手慣れた人がおおかった。

 会議の主催者代表挨拶は短いものをもって上等とする。5分程度で聴衆をリラックスさせて会議の導入を円滑にするものが好まれた。

 すでに当時、大問題論議を控えて会場が緊張感に包まれているなんてことはなかったからでもある。

 わたしは話し方の巧拙よりも、何かピリッとしたものを好んだ。好みでなかったのは、NHKの大河ドラマや朝の連続ドラマを使って話す手合いで、これはよほど意想外な地点へ展開しないかぎり平凡極まるからである。

 要するに、その手の話には中身が薄く、締まらない。全国各地のリーダーが参集するのに、茶飲み話をしてどうするんだという不満だ。

 安倍氏が総裁選立候補を鹿児島でやって、薩長同盟を持ち出した。これが大河ドラマに乗って、ご当地人気を得たかったのは誰にもわかる。

 ただし、薩長同盟から藩閥政治が自由民権運動を潰し、ご一新の清新な気風を潰していったのも歴史の事実であって、まあ、地球儀を俯瞰する外交を掲げるにしては馥郁たる香りがない。

 中身がない話をするのも、それに喜ぶのも中身がない話である。この人は本当の意味のサービス精神がない。いつまでも子供っぽい。