週刊RO通信

蚊帳のそとから自民党総裁選を談ず

NO.1265

 自民党総裁選挙について論評しても始まらない。それはそうだ、党員以外には選挙権がない。自民党員106万人、全国有権者1億人強であるから、有権者の1%でしかない自民党員は立派な選挙エリートである。

 自分たちの党総裁を選ぶのではあるが、必然的に日本の首相を選ぶことになるのだから、自民党員は1%が意味する重みをきちんと感じていただきたい。勝ち馬に乗るというのは古今東西、おもらい根性として不評である。

 安倍派は圧倒的多数を獲得して改憲道を一瀉千里に突き進むという主張である。ただし、自民党以外の国民諸兄姉におかれては、改憲反対派が圧倒している。自民党員におかれては、ここは、駄馬のクツワを引き締めるほうが中長期的戦略的によろしかろう。老婆心ながら、わたしは思う。

 馬の籠抜けという。馬が曲芸の籠抜けをやろうとするように無理に無理を重ねるという意味である。身びいきせず冷静に考えれば、馬には憲法の在り方を論ずるような曲芸をやらせるべきではない。

 馬にたとえては失礼だから人に戻す。この人のお仕事たるや滅法乱暴で、答えるべきは答えず。議会での行動は堂々たる遊客のごとしで、世間の批判も顰蹙を買っていることもお構いなし、常識というものがない。

 好き放題に遊んだあとは「お客さん、お勘定をよろしく」というのが世間の常識である。未払いのツケを支払ってもらうべく、全国に付き馬がぞろぞろ待ち構えていることを、一刻も忘れないほうがよろしい。

 外交を自慢しているらしいが、派手に世界中を回遊している割には成果が乏しい。というよりも神輿(外交)を担ぐのではなく、周辺のお囃子連みたいなもので、近隣諸国との関係においてはてんで存在感が見られない。積極的平和主義なるものは、アメリカ製武器を購入することらしい。

 全国知事会が「日米地位協定」の見直しを主張するようになった。これ、まことに当然である。これの不平等性について、従来から見直しが主張されているが、米国に対しては、とんと内弁慶でしまりがない。

 トランプ氏と個人的にいい仲であるとしても、あちらは何がなんでも「米国第一主義」だ。まさか、当方は米国べったり路線だから米国第一主義の内側にあると考えているわけではあるまい。

 安倍氏が総裁三選したとしても、その一寸先は闇である。たとえば社会保障である。民主党政権時代から社会保障の全面的再検討の声が少なくなかったが、何事も直近選挙乗り切り型の政権運営だから手がつかない。

 ために「働き方改革」だの「人づくり革命」だのと、あたかも政府が広告代理店に様変わりしたかのような、ド派手なキャッチコピーが花盛りになった。お人よしの人々も誇大広告には見向きもしない。人心は離れている。

 玄人筋(!)は「経済がうまく行っている」ことが、三流国並み「つまみ食い」的政治をしているにもかかわらず内閣支持率が下がらない理由だとするが、さて、経済が本当にうまく行っていると安心できるであろうか。

 たとえば地銀104行は預金327兆円で、大手5行の363兆円とほぼ並んでいるが、地銀の1/2は本業で赤字だ。

 これ、中小企業が付加価値147兆円、大企業が125兆円で並んでいるが、足元不安で何とかもたせているのと同根である。中小企業にしてみれば「経済順調ってどこの話!」というのが偽らざる現状である。

 金融緩和による円安・株価維持の厚化粧の一方で、中小企業・地銀は大きな不安を抱えて耐えている。日銀の方針もまたふらついている。

 「他に(首相の)人がいない」という理屈が幅を利かせている。本当にそうなら、わが国の政治は安倍氏がへたばるのと同時にへたばるのだろうか。

 第二次安倍内閣以来、安倍政治たるや、何がなんでもアクセルをふかす一本槍。次から次へと問題を積み残しつつ、走り回っている。要は、場面転換の繰り返しで、観衆の懐疑・批判精神を麻痺させる戦略である。

 常にポジティブに元気に、というのが安倍氏のモットーだが、間違いなく疲労困憊のタイムリミットが近づいている。「バカはひねくれ者よりも痛ましい。ひねくれ者は休息するが、バカは休むことがない」という、A・フランス(1844~1924)の言葉を思い出す。