NO.1596
民主主義の危機が指摘される。異なる表現をすれば、(世界を)全体主義が支配しそうだという懸念が示されている。
全体主義は、西側が批判する中国・ロシア・北朝鮮などだけではない。米国大統領選におけるトランプ勝利は、民主主義だからトランプを選んだというよりも、米国民が全体主義に親近感を抱いていることを示している。
韓国では尹氏が戒厳宣言で真正面から全体主義を投げかけた。全体主義の始末を全体主義的にやらないために韓国の人々は苦心している最中である。
日本は全体主義と無関係だろうか?
ファシストが、トランプ流の「全体主義だ、文句あるか」みたいな強面コメディアンとして登場するとはかぎらない。にこやかにお客様は神様ですと、低頭、猫なで声で接近する手もある。
首相・岸信介氏は1960年安保闘争に強面で対決した。その苦い失敗を学んだ自民党は、以来、お客様は神さま路線で長期政権を担ってきた。
しかし、もともと目的達成のための神様路線だから、前垂れの下から本音が見える。2012年の自民党憲法案を読めば、高学歴のみなさまが集まって作ったにもかかわらず、誰ひとりとして民主主義をご存じないらしい。いや、つまり本音である。本音とは全体主義・国家主義の思想である。
自民党が少数与党になった、ハングパーラメントだ、連立だなどとメディアは書き立てるが、平和問題、民主主義、そして財政の三大問題で根本的な議論を吹っかける気風が国会議員にあるだろうか。
それらに触れないで、いわば枝葉末節の手柄話を練り上げるのは根本的にはナンセンスである。三大問題のような根本的問題について、議論ができなくなった国会運営は、まさに自民党が営々と重ねてきた営業セールスのお手柄である。全体主義に支配されているから全体主義が見えないのである。
今年は、昭和100年、敗戦から80年という節目として語られる。大正からは113年、明治からは157年だ。昭和、敗戦を軸に考えるだけではなく、いや、むしろ、明治から大正を経て1931年満州事変から敗戦に至った歴史をこそ「現代日本を考える」土台とするべきである。
明治は西南戦争(1877)を最後の反乱とするが、明治政府は天皇制のもとの官僚制国家への道を突き進んだ。支配権力確立が至上命題であった。
脱亜入欧、文明開化の中身は、欧米の物質文明をまねて、追いつき追い越せとした。強力な上意下達による富国強兵路線は、具体的な衆庶の生活を軽視し、ひたすら国家なるものの繁栄強大化を求め続けた。
自由民権運動は、民主主義の萌芽を持ちつつも封建制思想を克服できず、末路は堕落して権力に抱合された。明治維新は封建制を打破するものではなく、日本的全体主義を強力に推進したのである。
日本の衆庶が民主主義の萌芽を手にしたのが大正時代である。吉野作造(1878~1933)、石橋湛山(1884~1973)が代表選手として有名だが、全国各地で青年運動、農民運動、教育変革の活動として取り組まれた。残念ながら萌芽が大きく育つに至らず、潰され、戦争の時代へ入った。
敗戦後からの歴史を見るのではなく、近代化の明治維新以来の日本がいかなる道筋を辿って、破局を迎えたのかを見詰めたい。それなくして戦後民主主義を語っても、それは所詮民主主義が「与えられた」のであって、われわれが民主主義に「した」のではないという弱さを克服できない。
次のような言葉を考えてみたい。
――現代は、大衆を組織する方法を知り得たならばすべて可能だと考える、人間の全能性を信ずる人たちと、無力感だけが人生の主要な経験になってしまった人たちとの間に、人類は二分されている。
その背景には、実用と効率のみで人生の価値を測ろうとする不毛な便宜主義(メリトクラシー)の風潮がある。――(ハンナ・アーレント)
この主張は、第二次世界大戦直後である。そもそも人は、全体主義に弱いのではないだろうか。ならば、人が民主主義を学んで、自身を鍛えなければ民主主義は本物にならない。個人は社会を動かせない。にもかかわらず、社会を動かしているのは人である。仮面の本質を見破らねばならない。