筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
斎藤元彦知事が、9月19日県議会全会一致による不信任決議をうけて、同30日に失職したことによる兵庫県知事選挙の投開票が11月17日におこなわれた。
中盤戦までは稲村和美氏が先頭を走り、斎藤氏が追う形成だったが、終盤戦で斎藤氏が逆転し、再選を果たした。
有権者は約446万人、投票率55.65%、斎藤氏は111万票、稲村氏が97万票、3位の清水貴之氏が25万票であった。
選挙の全体像からすると、「斎藤知事が、いわゆる怪文書を公益通報に当たらずと勝手に判断して、犯人捜しをやり、権力を振り回した」ことから、百条委員会が開催され、県議会全会一致で斎藤氏が不信任された。斎藤氏が立候補したので、前述の経緯を県民がいかに判断するかという選挙でもあった。
正論としては、斎藤氏が告発文書を怪文書と決めつけ、犯人捜しをやったことは、権力者による権力の乱用であるから、権力とその行使について県民がNOというべきなのだが、選挙戦は別の物語が制した。
いわく、「斎藤氏は議会とメディアにはめられた。斎藤氏は既得権派と戦う勇士」だとする。筋書としては、こちらのほうが間違いなくおもしろい。
選挙戦では、斎藤氏はSNSを活用して、ボランティアも500人と拡大して追い上げた。もうひとつ異変は、N党の立花党首が立候補して、全面的に斎藤氏の応援演説を展開した。県知事選挙の範囲は広い。1人分の行動より2人分のほうが大きな宣伝活動量になるのは当たり前である。
立花氏は、さきの衆議院議員選挙では公営掲示板をおカネで貸し出して顰蹙を買ったが、またまた新しい戦術を展開した。掲示板戦術より効果が大きい。
わたしの見解は次の通りである。――斎藤氏は見てくれはヤワであるが、相当したたかである。いわば、骨の髄まで官僚体質で、しかも権力に対する執着が大きい。それが、たまたま告発文書事件で露見した。
しかし、民主主義において、権力と民衆の関係について深刻に考える人は多数派ではない。憲法が権力を牽制し乱用を縛っていることは周知だと思うが、こんかいの選挙では、このもっとも大事な部分が軽視されたようだ。
短くいえば、おもしろくない正論よりおもしろい陰謀論に有権者が躍った感じである。庶民的心情として孤立する人に対する同情という美風! もある。さて、斎藤氏の神妙さが本物かどうか。
ところで、この選挙を振り返って、トランプ選挙のミニチュア版みたいだと感じる。デマだろうがなんだろうが、世論は動く。動かされる。選挙戦のプロみたいな連中の存在感が目立つのは、果たして有益なんだろうか。