筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
デモクラシーをいかに認識するか。デモクラットの条件として最低限弁えたいことは何だろうか? わたしには貴重な記憶がある。
わたしが組合員2,000人ほどの組合支部役員に当選したのは、21歳だった。まったく組合役員の仕事の中身など知らず、とにかく、もっと組合員が親身に感じる組合を作りたいという気持ちだけで立候補した。
定数3に対して5人が立候補した。2人は落ちる。入社間もないし、ごく一部の若者の支持で飛び出した。軽率そのものだった。職場が機械設計だ。組合では、当時は現業労働者が圧倒的多数派で、彼らの支持がなければ落選必至だ。下馬評では、最下位落選の折り紙がついていたらしい。
本人はのんきなもので、選挙運動期間中は長期出張で事業所にいない。若手活動仲間が立候補届を出してくれた。立会演説会も本人がいないので、誰かが代理で挨拶してくれたらしいが、どうもはっきりした記憶がない。
ところが最下位落選でなく最下位当選であった。しかも現業出身のベテランに僅差で迫る獲得票で、次点には大きく差をつけた。担いだ仲間が驚いた。これが、そのまま組合運動人生の出発点になった。
担当は青年婦人部で、執行部のなかでは末席であるが、そんなことはどうでもいい。連日、仲間を集めては、こんごの活動作戦を考えるのに余念がない。
ある日、先輩の副委員長が喫茶店に誘ってくれて、「一つだけ忘れないでほしい。新米執行委員といえども、権力機構の一員だということだ。」と諭された。
考えたこともない。権力機構という言葉が新鮮で重たかった。漠然とではあるが、その含意はわかった。選挙で当選してわたしが手にした「権力」なるものは、わたし個人にくっついたのではない。組合員の意に適うとき行使するものだ。組合員に対しては雇われ人であって、自分が上に立つなんてことではない。
60年も前の話が浮かんだのは、話が大きくなるが、トランプ人事を見て気づいたのである。
報道されるトランプ内閣の人事を見ると、事前に予想されていたとはいえ、いかにもトランプに対する忠義立てする人物ばかりである。もちろん、わざわざ敵対する連中を指名するわけはないが、どうやら仕事に対する能力よりも、忠義立てが基準になっているようだ。
大統領とは、巨大な権力の行使者である。第一に危惧するのは、トランプ自身が果たして、権力の所在が国民にあることを拳拳服膺しているかどうかだ。いままでの発言を見ていると、自分自身が権力を駆使したいがために選挙を戦っているみたいで、気分が穏やかでない。(他国のことではあるが)
行政機関を、トランプ機関に塗り替えたがっているとの観測も伝わる。司法をトランプに忠義立てするように画策したのはすでに証明済みだ。
権力を駆使する人物が、自分自身を絶対的存在だと妄信するのであれば、すでにデモクラシーは存在しない。
トランプ=権力という構造において、その内閣の面々が、デモクラットとしての矜持を持っているとは考えにくい。
世界はいま、厄介な怪物の出現に遭遇している。怪物の名は、トランプーチニヤフとでも名付けるか。