筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
プリンケン氏が米国国務長官に就任したときの印象を思い出す。神経質な感じ、有能な外交官僚というが、慎重とか冷静というよりも陰気さが伝わってきた。
そんな見てくれはどうでもよい。シビアにいえば、いつ第三次世界大戦が発生するかわからないような、剣呑な世界情勢の舵取りを担っている1人である。しかし、ウクライナもパレスチナも容易に見せ場ができない。
見せ場を演出したのかどうかは知らぬが、14日夜、キーウの有名なバーで、ステージに立ち、人気アーチストたちに交じってエレキギターを演奏した。抵抗と希望のメッセージを伝えようとしたという。
短いスピーチで、「ウクライナの人々が戦っているが、アメリカもウクライナとともに、自由なウクライナのためだけでなく、自由世界のために戦っている」趣旨を語った。
プリンケン氏のスタイルはそれなりに決まっていたが、動画からは熱気とはいかず、ぎこちなさが伝わってきた。
せっかくのギター外交(?)、ウクライナの人々向けの大サービスであるが、AFPが報じたのは、残念ながらけちょんけちょんなコメントばかりだ。
「不適切」、「気持ちはわからないではないが伝わってこない」、元駐米ウクライナ大使に至っては、「メッセージがまちがっている」と切り捨てた。たしかに、戦場における状況を考えれば、調子を合わせたコメントなどとてもできないし、気分が高揚するわけがないだろう。
サプライズは意外な驚きを引き起こすが、どうやら場違いでしらけ鳥が飛んだようだ。
フランスの作家サルトル(1905~1980)が、1945年1月からアメリカ訪問した。その際の感想で、彼は出会った米国人個々の人間味を評価しつつも、アメリカ人の画一主義や、(哲学抜き)価値観と並べて、偽の楽天主義、悲劇をかえりみない性質を明確に拒否した。
要するに、大事なことがわかっちゃいないという意味であろう。陰気なプリンケン氏もまた、その伝統の上にあると思えば、苦い笑いも出てこない。ウクライナの人々が感じたのもこれであったかもしれない。
16日の、習近平・プーチン会談後の記者会見は質問なしで、従来の論旨明快・意味不明の形式的発言のみ。パフォーマンスのサプライズのというカテゴリーとはまったく違う。決定的に面白くない。
あえて拾えば、ウクライナ戦争の「政治的解決」という言葉を双方が確認したことだろう。もちろん、中ロがそれを積極推進するわけではない。
政治的解決を押すならば、中国の行動が決定的に重大である。アメリカは、ウクライナ戦争の最初から、国益的中国排除論で、中国をわざわざロシア側へ押し付けた。これは戦略的大失敗である。
とはいえ、突然ケロッとして握手を求めてくることもなくはない。次はプリンケン氏には、ギターをかき鳴らすよりも二胡を弾いてもらいたい。