論 考

核の傘の信頼性?

 韓国が米国の「核の傘」の信頼性を確認したというが、いったいどんな信頼性なんだろうか。さっぱりわからない。

 こちらが強大な核兵器をもてば、相手が恐れ入るという筋書きだが、それは双方とも破滅的事態を避けるという神話があってのことだ。

 戦争を始めるのは、国内政治が運転滑脱ではないからで、とりわけ政治家が権力維持のために始める。

 戦争は交通事故みたいなものだが、万一革命(的事態)になると自分の首が危うい。だから革命(的事態)を避けるために戦争を始める。愛国心とい意味不明なものが、人々から自由な思考・発言・行動を奪うわけだ。

 さて、戦争開始して、うまくいかなくなるとどうだろうか。降参するしか出口がなくなったとする。支配者は、降参すれば敵からも国内からも逃げ場がない。万事休すである。

 そこで切り札としての核兵器を使う。つまりは自爆行為である。人々は自爆したいなどと思わないが、権力を奪われ、さらには自分の身が危ない支配者としては、敵の軍門に下るとか、人々から追い詰められるなら、自分がやれることを最後までやろうとする。

 こちらは立派な! 核兵器をもっていても、敵が核兵器を使えば無傷ではすまない。共倒れである。とても防ぎきれないからだ。まあ、核の傘とはこんなものである。守っていただいているのか、自分を人質にしているのかわからない。