論 考

学術会議問題の本質

 学術会議問題は、国の予算10億円ばかりで、学者の研究を政治家が指揮しようという厚顔無恥がそもそもの原因である。

 学術会議の政府・自民党に対する不信感は簡単に溶解しない。手打ちのためには、6人の任命を拒絶した問題の処理が必要だ。しかし、これはメンツがあるから政府・自民党としては絶対にやらない。

 そこで、表面的に学術会議側の見解を受け入れたかのような案を出した。そして、いまの国会への提出を止めた。ここまで譲歩したのに学術会議側が強硬だという印象づけするのが狙いだろう。

 さっそく、今朝の読売は社説で、国の予算を建前として、そんなに政府・自民党の言い分を聞かないなら完全民間化も視野だと主張した。

 やはり、権力側の連中はまちがっている。学問の自由は当たり前だが、加えて学者研究者が自由闊達に研究活動に精出す工夫こそ大切だ。

 ところが、10億円で紐をつけようとするのだから、厚顔無恥に加えて、いじましいと言うしかない。

 国立大学法人化にしても、予算で大学を縛ろうとした意図が露骨だった。その結果、わが国大学の国際的評価は明らかに下がってしまった。最高学府で学ぶ人の質が下がったことが、日本的活力の劣化に影響しているのではないか。

 人々が憲法を勉強しないのを幸いとして、政府与党が進めているのは似非民主主義である。学問に限らず、「自由」の意義を拳拳服膺したい。