週刊RO通信

箍が外れた岸田政治

NO.1505

 安倍内閣時代は、しばしば政府与党の「箍(たが)が緩んでいる」という指摘が目立った。実のところ、緩んでいるという表現ではぴったりこなかったのだが、まあ、世間は寛容を通り越して甘いのだから仕方がない。

 正しくは「箍が外れている」というべきであった。緊張や束縛がとれて、しまりのない状態になっていた。さらに、目下の岸田内閣は箍が外れた状態で日々大奮闘! しているというべきだ。

 岸田氏には人格的欠陥がある。議会答弁がまるで形を成していない。安倍氏は痛いところを追及されると返答に窮して反抗的言葉を発する、妙に人間味みたいなものが感じられた。しかし、岸田流はなにを言われようと自分の言葉以外には反応しない。これ、大昔の人工知能に酷似している。

 人工知能はその後おおいに発達した。AI研究団体のオープンAIが公開している対話サービスGPT-4は、人間の質問に円滑・的確な答えを生成する。これは、GPT-3を人間のフィードバックによって改良したインストラクトGPTをベースにしている。世間の反響は過熱気味である。

 政治家が聞く耳をもっているというのは大方は体験的には宣伝文句に過ぎないから、いまさら聞く耳を強調したじゃないかなどと詰問する気はさらさらない。聞く耳論の問題は、聞いて成長するのかどうかにこそある。その点、岸田氏はGPT-3と比較するべき学習効果がない。

 1月19日、ニュージーランドのアーダン首相が突如辞任を表明した。総選挙は10月14日としたので、まだ選挙で惨敗したわけではない。人気が下降気味といっても、日本とは比較にならない。2017年から6年にわたって政権担当したが、相当な重圧だったと語る。辞めざるをえない客観的事情ではなく、闘う政治家としてのモチベーションについて触れた。(首相を)続けるために、必要な「なにか」を見つけられなかったと語った。

 4月2日、フィンランドのマリ首相は、率いる社会民主党が議会選挙で第3党に落ちたので辞任表明した。こちらは2019年から政権を担い、ウクライナ戦争の波のなかで厳しい舵取りをおこなってきた。選挙敗北が理由だが、上位3党の得票率は僅差である。

 両国ともガラは大きくないが、よく考えた政治が展開されており、国際的評価は高い。2人の辞任発表の報道には爽快をすら感じた。2人とも政治に渾身打ち込んで、やり切ったという気迫が文字や写真から伝わってきた。本当に言いたくはないが、岸田氏とは別世界の政治家像を見る。さらに、民主主義の成熟レベルがわが国とは月とスッポンなのだろう。

 もちろん、岸田氏が大奮闘しているというのは嫌味だけではない。次から次へと厄介な課題に取り組んでいるのは事実である。ただし、やっていることが熟慮断行というにはあまりにも懸隔があり過ぎる。岸田政治を修飾すれば、てんやわんや、支離滅裂、どんちゃん騒ぎ、軽挙妄動、場当たり主義などの言葉が浮かぶ。政治的展望がまったく語られない。

 首相1人が政治を動かすのではない。行政内部では膨大な官僚群があり、党派を問わず議会にはたくさんの政治家がいる。政治は、これらの活動による総合的芸術でなければならない。そのためには思想を磨き、言葉を磨き、議論を磨く。本来、権力亡者する暇はない。ところが本来の政治が念頭にないからすべては権力維持のための方策に堕落してしまう。

 外交は語るに落ちる。マクロン氏が北京で習氏に「ロシアに理性を取り戻すためにはあなたが頼り」だと語ったそうだが、せめて、わが外交もこのレベルの見識がほしい。現実は、ひたすらアメリカの後塵を拝して、お先棒担ぐことに汲々している。国内政治もその悪しき影響が大きい。

 安全保障環境が厳しくなっていると本気で分析しているのであれば、環境を改善・好転するために知恵を絞り、汗をかくのが筋道である。ところが、やっていることは相対立する事態を緩和するのではなく、対立する事態をさらに押し進めている。わが国の針路について議会で堂々と説明するべきだ。

 箍の役割が首相である。箍の外れた政治という分析が的外れであればおおいに幸いだ。目下の政治は、関係者が寄ってたかってさらなる下降へ向かっている。後世代の動きが取れなくなるのが非常に心配だ。