論 考

戦争は救いがないものだ

 ロシアがウクライナの電力施設など集中的に攻撃している。23日はミサイル70発発射、ウクライナによって51発は迎撃されたというが、誰もが生活できなくなるようにする「殲滅戦」である。

 1960年代ベトナム戦争で、戦果が上がらないのに業を煮やしたアメリカ軍は密林を絨毯爆撃してすべて焼き払おうとした。ロシアの意図はそれと通底する。非常に陰湿・残虐で人間をまったく人間として扱わない戦争の最悪の部分が見られる。

 ロシアのウクライナ侵略以来、もっとも懸念したのは長期化によるこのような事態である。全貌としては、ロシアは追い込まれている。

 欧州議会がロシアをテロ支援国家と指定した。EUにも指定するように提議している。国連常任理事会の国がテロ支援国家というのだから、もはやなんでもありの事態だ。

 平和を獲得するには、武器を取って戦う気概が必要だというのが昨今わが国の気風だが、まことにお気楽だ。その行き着く先は、墓場の静寂でしかないことを、もっと深刻に直視せねばならない。

 放置すれば、人々の犠牲は増えるばかりだ。16日に、米軍ミリー参謀本部議長が「交渉は自分が強い立場にあり、相手が弱っているときにおこなうものだ」と発言した。十分に顧慮されたのか、無視されたのかはわからないが、人道危機だと非難しつつ停戦努力をしないのであれば、結局、どっちもどっちということでしかない。

 これが戦争の本質である。