論 考

五輪は再生可能だろうか

 「金儲け=人儲け×時間」であると思う。これ、わたしの考え方であるが、五輪贈収賄事件は、とりわけ人と人との関係に焦点が当たっている。

 問題は、電通元専務の招致・組織委員が、自分の稼ぎを目論んだわけで、彼が収賄しなければ、売り込んだ側は贈賄する必要はなく、事件にはならなかった。贈賄側にしてみれば、スポンサーになりたいので売り込むのは当然の商業行為だと考えていただろう。組織委員というみなし公務員の特権を自分の儲けのために利用したのが本質だ。「闇」というほどでもなく、仕掛けは単純である。

 イベントの収益というのは、本来催事が当たって入場者のチケット代から生まれるのだが、スポンサーという一種不思議な存在からあぶく銭が取れる構図であることに犯罪が発生する危うさがある。

 対策としては、すべての会計を逐次公開するしかない。

 報道も大きな問題を抱えている。朝日・読売・毎日・日経がオフィシャル・パートナー、産経・道新がオフィシャル・サポーターであった。

 新聞社は、広告代理店としての電通には弱い。電通タブーという言葉もある。報道各社も営利企業だから、五輪に直接かかわりたい気持ちはわかるが、報道の独立性からすると、実力者電通(人)に甘くなるだろう。

 報道倫理を達成するためには、やはり、報道は独立性を確保するために、スポンサー(パートナー)になるべきではなかった。

 とはいえ、五輪の妙味は放映権である。IOCの改革は容易ではない。スポーツマン精神と、マネー精神とは本来まったく異なるものだが、事業として成功させようとすると、どうしてもマネー精神が軸となる。

 このままでは、五輪の精神溌剌としたイメージが泥まみれになるだけだ。