週刊RO通信

敗戦記念日と安倍政治

NO.1472

 敗戦から77年過ぎた。終戦記念日という表現にはなじめない。戦争が終わったのは事実だが、大東亜戦争末まで15年も戦争を続けた主体は日本であり、日本人であって、戦争が勝手に終わったのではない。しかも、日本がポツダム宣言を受諾して全面的降参したから、連合国が攻撃を止めたのであり、降参しなければさらにボコボコに攻撃されただろう。

 終戦という取り繕いの言葉を押し出したのは、日本的官僚主義を象徴している。これでは、降参、敗戦の事実がまったく見えない。戦争は天変地異ではない。一方で、戦争体験を語る活動が積み重ねられている。体験は伝えられるべきである。ただし、空襲の恐怖や戦時の飢餓と困窮生活を迫真的に話しても、それだけでは戦争の本質が理解されない。なぜ戦争を始めたのか、止められなかったのか。原因をきっちり伝えなければならない。

 安倍氏を国葬にするというが、氏は果たして戦争の原因をみっちり思索した政治家であっただろうか。国会で、ポツダム宣言を読んだことがないと発言した。ポツダム宣言を読まずに戦争総括はできない。さらに、日本国憲法が米国の押し付けだとして、変えるために奔走していたのと合わせて考えれば、戦後の民主主義に対して、大不満を抱いていたと思われる。

 政治学者の佐々木毅氏は、「意外に思うかもしれませんが、日本の政治は今、国際的にも歴史的にも、かつてなかったほど高い評価を得ています」(朝日8/12)と語る。理由が述べられないので、なにをもって高い評価をされているのかわからない。玄人筋による大甘の評価にしか見えない。日本の朝野の悪しき傾向は、PDCサイクル、計画・実行・検証の作業ができない。

 素人筋として評価するならば、安倍氏は、憲法敵視、三権分立無視、国会軽視、野党敵視の姿勢がきわめて強かった。自分の見解と合わない相手については、一切聞く耳持たぬ未成熟の政治家であった。新聞記者が、ロシアとの交渉で北方領土問題が進展するのか質問されると、「では、なにもしないでいいのか」。答弁が不十分と指摘されると、「誠心誠意やっている」という調子で、ことほど左様に、国会審議が無様に空洞化した。

 内政は数の力で押し切れるから、安保関連法、集団的自衛権(閣議決定)、特定秘密保護法、共謀罪などの法案を次々に押し切った。数の力を与えたのは、安倍氏の解散戦略を軸とした政権運営が奏功したのだが、さらにいえば、人々のお任せ政治、気のいい人々が深慮熟慮を欠いた結果である。

 やってる感を打ち出す広告代理店型宣伝が柱であった。当たらない3本の矢(大胆な金融緩和・機動的な財政運営・民間投資促進の成長戦略)、新3本の矢(GDP600兆円・子育て支援・介護離職ゼロ)、一億総活躍、女性活躍、働き方改革、観光立国などは、打ち出したときが消費期限という首尾で、政策目標のインフレ、場当たり・先送りタイプの政治であった。

 安倍氏に呼応して、黒田日銀はマネタリーベースを2倍にして、2年以内に2%インフレを達成すると吹いた。マネタリーベースは5倍の670兆円に達したものの2%目標は未達成だ。日銀は国債発行残高の1/2・530兆円の国債を保有する。財政ファイナンスは止められず、お手上げだ。

 異次元緩和9年間に、政府長期債務残高は300兆円増加、政府債務残高GDP比は250%超過、世界ランキングの最下位という惨たんたる事情にある。安倍氏は首相辞任後も、日銀は政府の子会社である。コスト20円で1万円札が刷れると吹聴し続けた。株価が上がっても国民1人当りGDPは低迷している。たびたび発生する不祥事が傍証するように、日本企業の体質は大きく劣化した。政財官のリーダーシップの賜物である。

 安倍氏が首相に就任したとき、米国は強硬なパトリオットだと身構えていた。大統領選挙の最中からトランプ詣でをした。ワシントンポストは、トランプの忠実なsidekick(格下の相棒)と表現した。徹底的に米国追従路線を歩んだ。一方、米国のパシリに精出した反面、中国との外交は見るべきものなく、北方領土交渉の総括ももちろんやらない。日米同盟といえば、野党、報道も含めて思考停止の感であるが、ここには、日中15年戦争の反省なく、未来志向の光が見えない。日本が米国のsidekick化したみたいである。これが敗戦77年の苦い日本の姿である。転回の兆しはない。