週刊RO通信

働き方改革は誰が推進するのか?

No.1210

 今年3月28日、総理大臣の私的諮問機関である働き方改革実現会議が「働き方改革実行計画」をまとめた。同会議は、首相を含む閣僚数名と有識者15名から構成されている。(次は議会での法案審議がなされる)

 人口問題(少子高齢化・生産年齢人口減少)と、イノベーション欠如で生産性が低迷し、投資が不足している現状から、日本経済を再生させねばならず、そのカギは「働き方改革」にありとする。

 いまや人手不足と大企業の投資不足は誰の目にも明らかである。16年度末、上場企業の手元資金は112兆円、自己資本利益率は平均9%弱である。ケチりにケチって貯め込む流れが依然として変わっていない。

 いうならば、08年の米国発金融危機以来、いや、1990年代の和製バブル崩壊以来、ひたすら自己資本利益率の向上を目指して、片や雇用不安を煽って労働条件を抑え込んできた大成果が出ているというべきだ。

 で、イノベーション欠如と投資不足なのに、経済再生のカギは「働き方改革」にあるとつなぐのは、おかしいではないか。経営の性根が入っていないことが問題の本質ではないのだろうか?

 このような筋書きでは、(格別ひねくれた考え方でなくても)経営はお手上げなので、労働のほうで面倒みてちょうだいという理屈にみえる。

 会社というものは、「資本+経営+労働」のトロイカが効果的に運動を興さねばならない。ここから考えると、資本はある! 経営が、資本を効果的に投資していない! そこで、そのツケが労働に回ってきた――としか考えられない理屈の展開なのである。

 次なる疑問が湧く。いったい、働く方々は、のんびり手抜きして適当に働いているのであろうか? 同会議の皆さまは、現実の職場や人々の働き方を十分にご存知なのであろうか?

 「長時間労働は仕事と生活の両立を困難にする」と指摘する。なぜ、長時間労働になるか? 仕事量がマンパワーを超えているからである。ならば時間でなく成果で賃金を支払うというのは残業代支払い逃れに通ずる。

生活残業しているという見方もありそうだ。なぜ生活残業するのか? 低賃金だからである。長時間労働が習慣になると、仕事のペースは必然的に時間に合わせられる。100m競争の走り方でマラソンできるわけがない。

 「働き方は暮らしそのものだ」と指摘するが、長時間労働は、1人ひとりの生活時間を労働時間に替えているのだから、長時間労働になればなるほど仕事は生活時間を食ってしまう。長時間労働は生活を破壊するというべきだ。

 そもそも、労働時間を考え論ずる際に、「1日8時間・週40時間」という原理原則がまるで関心外になっているのが、わたしは信じられない。労働時間に関しては、わが国は世界の常識と全く合致しない。

 憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活営む権利を有する」は、「1日8時間・週40時間」労働を前提している。これを捻じ曲げて、残業時間青天井の文化を作ってきたのは政財界である。反省すべきだ。

 政財界主導のワーク・ライフ・バランス論は、ワークのためのライフであって、ライフを盤石にするためのワークではない。ライフをワーク(時間)が食っている事実にほっかむりして、オタメゴカシもいいところだ。

 もちろん、わたしは、非正規雇用の待遇改善(同一労働同一賃金など)であるとか、長時間労働の是正、柔軟な働き方がしやすい環境整備、病気治療・介護・子育て支援などの取り組みをしようという立場である。

 「真の雄弁は語るべき一切を語り、語るべきことのみを語る」のでなくてはいけない。雄弁さが問題の本質を覆い隠す結果となってはナンセンスである。「働き方改革実行計画」も同様である。

 長時間労働上限問題と、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプションで労働界に波紋が広がった。なぜか? 働く人々の実情が単組→産別→連合へと十分に伝わっていないからだろう。この流れを作ろうではないか。

 「働き方改革」を主導するのは組合員段階である。職場で、各人の仕事を分析して、なにが問題なのかを話し合おうではないか。この運動が立ち上がれば、わが組合運動は一気呵成に再生発展するに違いない。