週刊RO通信

芳野・連合は組合大衆運動の基本に立て

NO.1457

 初代連合会長の山岸章氏(1924~2016)は、2014年の連合結成25周年記念企画本『語り継ぐ 連合運動の原点』で、「連合が、舞台の主役として主張し、行動してほしいのだが、客席でモノを言っているようで歯痒い。力不足で当初目指した社会的影響力が発揮されていない。」として、すべては会長の姿勢であり、「テレビで信念をもって発言してみろよ」と、苦言を呈した。

 山岸氏は、自他共に認める大の政治好きであった。春闘インタビューで、春闘の話は5分だけで切り上げ、とうとうと政治談議を展開したこともある。1993年に弱小細川内閣が登場した前後の政界は、群雄割拠というか、石を投げれば政局が動く手合いで、山岸氏の言動は大いに目立った。

 1989年には、参議院議員選挙で連合の会を結成し、組織内候補を11人当選させた。組合員800万人の連合が発足した年である。もちろん、山岸氏の個人的キャラクター・パワーはたいしたものではあった。バブル崩壊直前で、ふわふわ気分がまん延していたとはいえ、各組合が選挙活動に相当の実力を持っていたことも山岸ラッパの裏付けである。

 政治活動と言いながら、実際は選挙活動だけではないか、という若手組合役員の不満が少なくなかったが、いまの組合の選挙活動力=集票力に比較すれば、はるかに大きな力を発揮していた。その後組合全体が、90年代初めのバブル崩壊での対応をしくじった。バブル当時に、活動の手抜きをした結果である。賃金論だけ考えても、職場段階ではほとんど学習されていない。

 世間では、春闘の賃上げ数字だけが話題になるが、1980年以前の活動体験からすれば、こんにちのように、春闘に組合員を組織(たとえば学習活動)せずして、大きな成果を上げられるわけがない。いかなる運動を提起するにしても、組合員が活動に参加する状態を作らねば、大衆運動たる組合の力が発揮できるわけがない。

 山岸氏は、「すべては会長の姿勢」だと発破をかけたが、いま、連合会長が、いかにマスコミの注目を集めたところで、その言葉には重みがない。組合員をその気にさせる力がない。これは、芳野氏を難詰するのではない。山岸氏の当時と芳野氏の場合とでは、あえて言うが、組合力が天地の差ありで、調子のよろしい話題を求めるマスコミのそそのかしに、ひょいチョイ乗っかっていると、あとで大けがしないとも限らない。

 まして、自民党筋のお誘いには、よほど慎重に構えておかねばならない。自民党筋と会食するのがいけないとは言わない。いまどき、酒食の接待で籠絡されるほど連合役員が切羽詰まっているわけはない。だから、会食はどうでもよろしいが、マスコミに大きく報道されるならば、現場第一線には、どう映るか――程度の見識は弁えてもらわねばならない。

 こんどの参議院選挙で、連合の組織内議員であっても、楽勝できる候補者がいるだろうか。組織人員で勘定すれば、十分に票があるとしても、組織人員の1/3獲得できれば大善戦という体たらくだ。組合活動全盛時代には組織人員の2~3倍を獲得した事例も少なくない。

 そんなことは、海千山千の自民党議員は先刻ご承知である。事実、最近の10年間だけ見ても、組合が選挙で踏ん張って与党を凌駕した事例など、ほとんどありはしない。いまになって、安倍内閣時代の実質的総括結果が続々出ているが、あのトンデモナイ内閣を8年間続けさせたのは、もちろん、野党がダメなのだが、すなわち野党を担ぐ連合がダメだということである。

 にもかかわらず、自民党が慇懃丁寧に、連合会長のお出ましをお願いするのは、いったいなにが狙いなのか。この程度は、蚊帳の外から指摘されるまでもなくお分かりであろうが、傍目には、お分かりではないようにしか見えない。マスコミの露出度が多ければよろしいのではない。いかなるメッセージを組合員に発しているか。山岸氏の提言をそのままおこなうのはダメだ。

 そもそも、自民党や政府官僚に対して、連合会長が一言二言話して、働く人々の要求が実現するのであれば、組合活動などなくても、わが国は世界に冠たる福祉社会を実現している。現実は、そうでない。つまり、圧倒的な働く人々を組織化し、運動に参加してもらってこそ課題が実現する。芳野氏が率先して、大衆運動の構築を図らねばならない。