月刊ライフビジョン | 家元登場

外敵で内を固めるな

奥井禮喜
歴史を逆流させないために

 1989年に東西ドイツの間に立ちはだかったベルリンの壁が崩された。ドイツ人が自由に東西往来できるようになったのは、もちろん素晴らしい。さらに世界中の人々が感動をもって期待したのは東西冷戦に終止符を打ち、3度目の世界大戦から遠のく方向へ、世界が着実な歩みを開始することにあった。この期待を裏切らなかったのは統一されたドイツであり、ナチの蛮行を自ら許さず、つねに人間の尊厳に基づいて内外政治を展開した。日本がいつまでたっても周辺国と心を許したお付き合いができないのと比較すると、欧州における地歩を固めたドイツは、歴史的優等生というにふさわしい。ドイツは、統合した欧州の中核として世界の範となった。今秋にはメルケル氏が引退する。彼女が最大の懸念を持つのは、西側の対中国包囲網形成であり、ロシアとの対立の深化であろう。すなわち、32年前の冷戦へ、歴史を逆流させてはならないという問題意識に違いなかろう。

専制が柱を虫食いに

 世界中にドングリコロコロ政治家揃い、政治家といえば権力亡者と決めつけたくなるような状態にある。メルケル後のドイツがしばしば世界の論調に上がる。大きく見れば、世界の歴史は、理性と野蛮のせめぎ合いである。そのいずれにシーソーが傾くか。同時代を生きる人々が意識しなくても、1人ひとりがいずれかの座席を占めているのは事実である。政治におけるポピュリズムが批判されるのは、人々が、目の前の利害損得を価値基準としてしか政治を見ないような政治状況に堕するからである。民主主義対専制政治というワッパを掲げれば、専制政治を望むのは権力亡者くらいのもので、人々が専制政治にNOというのは当たり前である。専制政治の渦中にある人々は非力だから沈黙しているとしても、歓迎しているわけがない。むしろ大事な視点は、民主主義国において、専制政治がシロアリのごとく、政治の柱を食い潰しつつあることに気づかなければならない。

政治の筋は互いの尊重

 単純化すれば、政治に対する人々の期待は、日々円滑に暮らせることである。これは、経済的に豊かな国であろうが、専制政治と批判される国であろうが、ふつうの人々が抱く当然の気持ちである。そこで、忘れてならないのは、同時代の世界各国ではあるが、歴史の時間軸が世界共通ではない。歩んできた歴史もことごとく異なる。だから外交においては、第一にお互いの文化・歴史を理解し、尊重するのがスジである。国にも盛衰がある。国内事情はつねに動いて止まらない。政治家は、国内の人々に選択されるのであって、AB両国がいかに友好国同士だとしても、A国の政治家をB国の人々が選出するわけではない。国内事情が不都合になると、政治家は、不満の行き先を国外に転嫁しやすい。トランプ氏の4年間、外から見ていても、まことにその事情がよくわかった。バイデン氏に代わったが、二分されたような国内意識は、そのまま大きな火種として残っている。

外的で内を固めるな

 世界の緊張状態を作り出すことは、国内の人々間の利害衝突を緩和させ、国民的意識統一を作りやすい。いわゆるファシズム化しやすい。国内における失政がファシズム化の原因である。看板は民主主義であっても、ファシズムはいつでも登場する。失政とは、要するに政治的課題に対して、次から次へと人気取りの弥縫策ばかり繰り出す結果である。民主主義は上等である。しかし、実際に政治的意思決定をおこなうのは政治家・官僚であって、民主主義が意思決定するのではない。逆に、政治機構を動かす一部の人々が失政を糊塗するために国外の緊張を利用しやすい。しかもそれは国家安全保障のおどろおどろしい看板を掲げるから、1人ひとりの言論は決定的に軽く扱われる。その結果、国内の失政は改善されることなく生き延びる。中国に対するにせよ、ロシアに対するにせよ、冷戦を再現することは、悪しき国内政治の温床を持続させる。新たな冷戦には反対だ。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人