日々道楽

避けられない衰退--オリンピック

 IOCによるオリンピックの金儲け主義・体質は、以前からしばしば話題になった。今回は、コロナ感染拡大防止の文脈と正反対の大規模イベントとしての在り方が注目され続けてきた。

 IOC委員の貴族的体質というよりも、美辞麗句を並べてひたすら開催に突き進む態度からは、人間賛歌としてのオリンピック精神はまったく感じられず、歴史的権威にすがった興行師の姿しか見えない。まことに残念である。

 菅氏は、G7で各国首脳らのお墨付きをちょうだいしたと吹聴する。しかし、「安全安心な形で競技会を開催する」ということに、大方はあえて異を唱えなかっただけである。

 いわば、蚊帳の外の責任外発言である。こんなものは推進力ではない。なにより大事は、国内の合意形成である。ろくすっぽ説明すらせず、とにかくやれば、世間は――感動の渦――に巻き込まれるだろうという思い込みを頼みとして、興行師IOCの下請けに挺身している。

 オリンピックの流れを見れば、まちがいなく衰退している。

 プロ選手たちに慎重な発言が見られるのは、スポーツを生業とする以上、1つの大会ではなく、世界全体のスポーツ動向を考えているからであろう。

 アマチュア選手のロマンをかき立てても、IOCのスポーツ精神が見られない。逆に目立つのは「グリーディ・バロン」という言葉に代表される、金儲けのプロの姿ばかりである。オリンピックの歴史的意味は終わった。