論 考

反省できない⇒進歩がない

 組織委員会の橋本会長が、無観客試合も覚悟の上で「五輪開催は100%」だと語る。会長は、開催が前提で存在するのだから、この発言は当然である。

 問題は菅氏である。氏も100%開催である。ただ、氏の場合には問題がある。なぜなら、このような状況において、――開催すべきか・中止すべきか――についての論理的結論を出すべき立場だからである。

 なるほど、前任首相と開催の思いを共有し、万難を排して開催に突き進むという意志はうかがえるが、いかんせん、ざっと70%の人々が延期・中止を求めているという事態に対して、なんら明快な説明ができない。

 明快な説明がないから、「なぜ、こんな状況なのに」という疑問が膨れ上がるばかりである。

 前任者も菅氏も、とにかく五輪開催以外の選択肢はないという考え方で進んできた。五輪が手かせ足かせとなって、いや、オツムをきつく支配してしまって、コロナ対策の戦略・戦術におる精緻な思考がなされなかった。開催を切望するなら、第一にコロナ対策に没頭するべきだった。

 切望しているにもかかわらず、皮肉にも、開催中止の声が高まるような事態を、自分が率先して招いたのである。このような反省が菅氏にあるだろうか?

 かくして、いまは五輪開催云々に問題が占有されているが、本当の政治的問題は、大局観を欠き、権力による権威を自分の力だと錯覚するような人物が、日本国首相の椅子に座っていることである。