論 考

メンタル・ハイジーン(精神衛生)の社会性

 大坂なおみ選手が全仏オープンを棄権した。2018年からうつ病の傾向にあったという。有名スポーツ選手は、一般の人からみれば有閑階級である。しかし、プロスポーツでは、勝利することは「ノルマ」であり、プロスポーツ界システムがあり、スポーツによって糧を稼ぐのだから、大きくみれば会社組織で働くのとよく似ている。

 さて、産業界で精神衛生が話題になったのは、1908年米国で、「Mental Health」、「Mental Hygiene」という言葉を引っ提げて、コネチカット精神衛生協会が立ち上げられた。翌09年には、米国精神衛生会議(National Committee of Mental Hygiene)が組織された。

 この精神衛生概念はただちに世界的に広がった。いわく、――Mental Hygieneは、人格の価値と尊厳とを尊重しようとする、永い間のわれわれの伝統的精神の最も新しい表現である――と謳われた。(ついでながら、当時、明治42年の日本では、ほとんど別世界の話だ)

 その後、世界精神保健連盟WFMHが立ち上げられて世界的活動となり、WFMHは、WHOやUNESCOと連携して活動を展開している。

 産業上の精神衛生問題については、個人と集団の2面性がある。たとえばうつ病は個人において発症するが、いまだ明確に原因を特定できない。

 おおざっぱには、個人的精神の平衡状態は組織において、本人が、有能と感ずること・仕事から満足が得られること・社会的有益性を感ずること――などが指摘される。しかし、いずれにしても抽象的であって決め球ではない。

 集団のほうは、とかく集団の特性(文化)傾向に欠陥があることが問題になりにくい。なにしろ圧倒的多数は、そんなものだとして格別の問題意識を持たないからである。そこで、個人の不適応現象(が持つ社会性)が無視されやすい。

 人は社会においてしか生きられない。そうすると、とりわけ精神的疾患は社会的(集団的)問題が隠れた要因だとも考えられる。

 よく使われる話だが、昔、炭鉱労働者は小鳥をカゴに入れて坑内へ入った。小鳥は異変に対して敏感だからである。不適応現象は個人において発生するが、それを軽視するとか無視せず、受け止めて研究する見識が大切である。

 大坂選手からだいぶ飛躍したが、大事なことなので書いておく。