論 考

テレビに未来がないわけ

 開高健さん(1930~1989)は、評論の達人である。文庫本ばかりたが、わたしが開高さんの作物を読み始めたのは、開高さんが亡くなった翌年からだった。膝を打ったのは、開高さんの哲学を私流にいえば「絶対元気」である。自分の内部から湧き出るのがこれだ。

 絶対元気は、わたしが展開してきた人生設計論の核心である。

 世間の多数派は「相対元気」である。他人の不幸が自分の幸せ、他人が幸せそうだと自分がどんどん不幸になる。ショーペンハウエル(1788~1860)は、これを――大きな悩みにあって、なにより力強い慰めは、自分よりもっと不幸な他の人たちを見ることによって得られる――と、上品かつ難解な表現をした。

 SNSなどで猛然と個人攻撃する手合いは、相対元気であるからこそ、他者を不幸に落とし込んで快哉を叫ぶ。こんなことに精力をぶち込むのは、なによりも恥ずかしく唾棄するべしだが、連中はすでに精神的健康を失っている。

 わたしはテレビ視聴を止めて10年になる。バカ笑いてんこ盛りの番組を見ると笑うどころか不快感がこみ上げる。品質の低い笑いは、東海道中膝栗毛以来、延々と続く悪しき伝統文化である。

 SNSのヘイトが原因で自殺した若い女性のニュースを見ると、腹立たしく、情けない。テレビ局が反省するか? 見てくれの反省をしても意味はない。相対元気が蔓延する社会は病気である。そこのところを本気で考えて、番組作りしなければ、テレビの未来はない。