高校の新しい教科書の報道を見ていると、58年前に工業高校を卒業したわたしとしては今昔の感である。
故内藤先生は、小中学校の基礎的教育をきちんとおこなえば、社会人生活は十分にやっていけると言われた。ここでいう基礎的教育とは大学でいう教養である。いろんな表現ができるが、教養の柱は生きる構え方であろう。
学校で最新の勉強をしたといっても、社会は日進月歩であって、教科書に現実問題に対応する回答が書かれているわけではない。昨今の教育は、幼稚園から大学入試向けに組み立てられているかのようだ。しかも、小学校低学年から塾で勉強するのだから、生きる構え方を主体的に考えるようなことは道草をくうことになりそうだ。
ソフトでもハードでも、勉強することはもちろん上等であるが、なにからなにまでマニュアルがあって、その通りにやらねばならんという、固定的な思考が頭を支配してしまうと、行く手はロボット的人間への道ではないか。
厚労職員が掟破りしたので、まじめに自粛している人々から猛抗議が起きている。無理もない。上に政策あれば、下に対策ありという名言(?)があるが、政策を作った連中が対策してどうするんだというわけだ。
しかし、これは菅氏や二階氏らの掟破りとは違って、送別会だったらしい。彼らの人間らしい惜別の心情の発露だったと忖度して、わたしとしては、「あほか」と一言呟くだけにしよう。