週刊RO通信

刑罰拡大はやがて恐怖政治だ

NO.1392

 コロナウイルス対策の腰が定まらない。

 感染症法改正について、入院措置に応じなければ、1年以下の懲役、または100万円以下の罰金という刑事罰を科すとした政府案を見直し、行政罰の過料とする。保健所による疫学調査(接触者調査)を拒否すれば罰金としていたのも過料にするとした。

 行政罰とは、行政上望ましいと考えられる状態と矛盾した状態に対する罰である。刑事罰の対象は犯罪である。行政罰は行政執行に従わない違反であって、名目は異なるが、違反者に罰を与えるのは同じである。

 犯罪者とされ、違反者とされる人はコロナウイルスに感染した被害者である。犯罪者から違反者に名義変更したところで、被害者が法律によって犯罪人扱いされるのであるから、こんなバカな話はない。

 自粛警察なるボランティア! があちらこちらで出没して、大方の人々が眉を顰めた。つまらぬボランティアをするな、と諫めるのではなく、その本質を法律化するというのだから、国会議員という職業人の専門性に対して大きな疑惑が沸くのは当然である。

 このような法律を審議しなければならない立法事実があるのか。立法事実(=法律が存在する合理性となる社会的事実)に関する議論がおこなわれているのか。それが中途半端なままに、感染症改正案を閣議決定し、雲行きがよろしくないから、野党の意見にこれ幸いと便乗して、修正協議に応じた。

 刑事罰を行政罰に変更し、過料を引き下げればよいというような問題ではない。入院できなくて亡くなった方も続発している。医療関係者、保健所関係者はしっちゃかめっちゃかで走り回っておられる。言いたかないが、深夜までナイトタウンに出没する政治家のような余裕はない。

 国会で審議するなら、感染者への支援とアップアップの医療・保健所の立て直し、いままでの知見を要領よくまとめて、かかる次第だから、今後はこのように対処すると、みなさまのご理解とご協力をお願いするのが筋道だ。

 自粛が浸透していて、飲食店の時間短縮・休業をお願いするまでもなく、こちらもすでによろよろになっている。それに対しても行政の指示に従わなければ過料を取るというのだから、永田町は地球の裏側にでも移転したらしい。闇に紛れて、政治家諸君が個人的にお店に梃入れする程度ではなんともならない、ということも分からないのか。

 この間の政府与党諸君を見ていると、政治家として最低限の勉強をしているのかどうか、失礼ながら大きな疑問を抱かざるをえない。たまたま刑罰を行政罰に切り替えたが、本質は同じである。

 刑法は、どのような行為が犯罪とされ、犯罪に対してどのような刑罰を科すべきかを定めた国の法規範である。刑法が企図するのは、共同生活の秩序を保ち、人々が犯罪の脅威から守られていると信頼できることにある。また、個人としては、法律によって、国家の干渉を受けず、自分が自由に行動できる範囲が示されている。いわば社会秩序の基盤である。

 当然ながら、犯罪と刑罰はバランスが取れていなければならない。刑罰権は国家にあり、犯罪者は私人であるから、刑罰権の拡張については、よほど慎重でなければならない。刑罰権の拡大解釈は恐怖政治の入り口だ。

 刑法理論では、犯罪と刑罰のバランスには極めて慎重である。いわば刑罰は必要悪であるから、根本的に謙抑主義が貫かれなければならない。刑罰が重すぎると、受刑者が刑法運用の被害者・犠牲者になりかねないからだ。この原則を理解しているならば、まさか、コロナの被害者が加害者扱いされるようなトンチンカンな法案を提出するわけがなかろう。

 まるで、法案は子どものバツゲーム的乗りではないか。圧倒的多数の国民は、さしたる不満もいわず自粛生活を続けている。にもかかわらず、「不要不急の外出を控えて」などと、図に乗って発言する政治家が多い。これでは、まるで「百姓と雑巾は絞れば絞るほど出る」の21世紀版である。

 「刑罰権は、厳格な法律上の制約にあらねばならない」という刑法理論が頭に入っていない。だから、自民党は民主主義の政党ではないと何度でも抗議しなければならないのである。